ユニバーシティ・アイデンティティ
校章(シンボルマーク)やコミュニケーションヴィジュアル、校歌など多摩美術大学の特徴を体現するユニバーシティ・アイデンティティを紹介します。
校章(シンボルマーク)
シンボルマークの由来
現在のシンボルマークは、創立60周年となる1995年に実施されたUI(ユニバーシティ・アイデンティティ)計画の一貫でつくられたものであり、ロゴタイプやスクールカラーなども同時期に決定されました。
原型となっているのは、本学の設立に携わった杉浦非水が1953年に手掛けた羊の頭をシンボライズした校章です。デザインは後に本学の学長(2011年〜2015年)を務めることになる五十嵐威暢によるもので、上下二本のラインは本学の理念「自由と意力」を象徴しています。
以来、現在まで続く理念やシンボルマーク、ロゴデザインは、我が国の芸術教育を牽引し続けようとする多摩美術大学の強い意志の表象です。そしてこれからも、学生、教職員、そして本学に連なる多くの人たちの精神の拠り所、誇りの支柱となることを希求するものです。
シンボルマークの歴史
1935年、設立時の校章は、図案科主任教授だった杉浦非水によるデザインです。同年10月末に完成した校舎の門扉は、青・緑・黄・赤のカラーサインが施され、日本画科を青、西洋画科緑、彫刻科黄、図案科(染織、建築を含む)を赤に区分していました。西洋画実習棟の壁面には、建築家・今井兼次教授の下絵による紋章のレリーフが取り付けられていました。このレリーフは多摩帝国美術学校の頭文字「TTB」と絵画芸術のシンボルである絵筆が交差し、上部には『芸術愛』を象徴するアカンサスが戴冠されています。
その後、同じく杉浦非水によって新たなシンボルマークと校旗のデザインが考案されました。シンボルマークは飛躍を意味する羽とUTAのロゴ。校旗は日本画科にグリーン系、彫刻科イエロー系、図案科レッド系、西洋画科にブルー系があてられています。しかし、このプランは実現には至りませんでした。
4年制大学になった1953年には、杉浦非水デザインの『美』を基調にした校章が制定されました。再建された新校舎の正門に設置された個性豊かなロゴタイプのレリーフは、現在までそのままの姿で残っています。
コミュニケーションヴィジュアル
オープンキャンパスなどに用いられているコミュニケーションヴィジュアルは、グラフィックデザイン学科の大貫卓也教授が2018年に制作したものです。
現在のシンボルマークの原型となった杉浦非水による「美」が内包する大きな力をさらに強く視覚化したデザインには、これまでの常識を突破し、新しい時代を切り開いていこう!という本学のメッセージが込められています。
『美』はPOWER(力)であり、
BREAK THROUGH(突破)であり、
INNOVATION(革新) であり、
FLASH(ひらめき)である。
OPEN ART! さあ『美』の扉を開こう!
校歌
校歌の由来
『多摩美術大学50年史』【1986年刊】より抜粋
多摩美術大学校歌は多摩美術大学が25周年を迎えた時、元理事長故村田晴彦先生の発案により当時学園の佐々木事務部長が事務的な労を取り作られたものです。作詩はその当時の現代詩人協会の会長でありNHKの監査室に居られた黒田三郎氏にお願いし作曲は私にということで決定したのです。また黒田三郎氏と共に多摩美大の付近と二子玉川を歩き回ったことも懐かしく思いだされます。作曲は長調と短調の2曲を完成し、その当時の美大の学生諸君に歌唱して戴き、録音にとり、それを上野毛の校庭に流し、全学の学生のアンケートを取り長調の作品に決定致しました。そして25周年の式典では、その当時のデザイン科の学生で後に学園で教えておられた石黒正範氏が四声コーラスの指揮をとり盛大に初演致しました。またその当時美大のマンドリン合奏団は、その当時美大の油科の学生で後に学園の絵画科を指導された渡辺允康氏が指揮をして常に演奏されていたようです。しかしその後学園紛争の時代、美大並びに学園に保存してあった原譜は全て失われてしまいました。それ以後歌われることは殆どなくなってしまたのです。現在原曲の楽譜に岡本仁氏が手を入れたものがコーラス部に残されていることを知りました。最近再び歌われるようになり始めたことは作曲者にとって非常に喜ばしいことと存じます。
「多摩美術大学校歌に寄せて」 元多摩芸術学園学園長 松葉 良(故人)
-
清らかに、多摩川の流れ
はるかに富士の 姿をうつし
森陰に吹く 自由の風
のびゆく 若葉の
希望をこめて
我ら美しい 未来をえがく
ああ、我らの多摩美大
-
ほがらかに 肩を並べて
若い心に、明るいほこり
文化の野に咲く 平和の花
たゆまず くじけず
理想を胸に
我ら新しい 社会をいろどる
ああ、我らの多摩美大