企業の人事担当者・卒業生に聞く/メディア

報道の責任を自覚しながら表現の幅を広げ、クオリティの高いグラフィックスを制作

一般社団法人 共同通信社

写真左から人事担当者(グラフィックス部長)の酒田英紀さん、卒業生の中路美雪さん。東京・港区の共同通信社本社にて

正確公平な内外ニュースを広く提供し、国民の知る権利に応えるとともに国際相互理解の増進に貢献することを目的に、全国の新聞社、NHKが組織する社団法人として設立。国内、海外のニュースを取材、編集して新聞社をはじめ、民間放送局や海外メディアに記事、映像を配信する。
https://www.kyodonews.jp/

2024年5月更新


ニュースを届けるためには、
ビジュアルデザインを担う人材は不可欠

酒田英紀さん
酒田英紀さん

一般社団法人 共同通信社
ビジュアル報道局
グラフィックス部長

共同通信社のグラフィックス部員は40名ほどで、その多くは美術系の大学出身者です。多摩美出身者は5名で、2022年、23年と連続して入社しています。他のマスメディアではデザイナー、イラストレーターなどの職種名が使われていますが、当社では「グラフィック記者」と呼んでいます。要するに「ジャーナリスト」である、ということです。ここはとても重要な点で、私たちグラフィック記者は、速いこと、正確で分かりやすいこと、そして何千万人という読者に伝えるうえで配慮すべき点をしっかり押さえたニュースグラフィックスを安定的に届けることを目的に、日々業務に従事しています。

主な業務は、ニュースに添えられる地図やデータのグラフ、一覧表、イメージ図解などの制作です。1日に100点以上ものグラフィックスを作ることもあります。また、1〜2カ月ほどかけて新聞の見開きページを丸ごと使った大型の企画を手がけることもあります。入社年次に関係のない実力主義で、入社1年目の記者が華々しい大型企画を手がけることも少なくありません。

当社に在籍する多摩美出身者は、学生時代に培った表現技術に加え、報道の役割や責任を自覚して仕事に取り組んでいます。なかでも近年入社した多摩美卒業生は、大学で学んだ最新のWebデザインの技術や理論をもとに活躍の幅を広げています。そのひとりである中路さんは、昨年G7広島サミットが行われた際に大型企画の制作に携わりました。彼女は広島出身ということもあり、もともと持っていた問題意識がさらに高まったのでしょう。強い意志を持ってこの企画に取り組んだことで急成長したと感じています。ニュースとの向き合い方や表現方法を深く考えるようになり、仕事のクオリティーが格段に上がりました。

マスメディアが現在直面する最大の課題は読者の「ニュース離れ」です。それを食い止める鍵になるのはビジュアルコンテンツだと考えています。読者の心をつかみ、記事を深く読み進めてもらうために、ぱっと目にとまるビジュアル、複雑な状況が一目で分かるグラフィックスは大きな役割を果たします。大量の情報が安易に手に入る現代社会で、確かな取材に基づいた質の高いニュースを情報の洪水に埋もれてしまうことなく人々に届けるためには、ビジュアルデザインを担う人材は不可欠で、大いに期待をしているところです。


多摩美で気づいた「数をこなす力」という自分の強みが、将来を決める手がかりに

中路美雪さん
中路美雪さん

2018年|情報デザイン卒

一般社団法人 共同通信社
ビジュアル報道局
グラフィックス部

リアルタイムで変わっていくニュースを素材に、さまざまなグラフィックスを制作しています。突発的な事件をスピーディに図解化するということはグラフィック記者にしかできないことで、スリリングな楽しさを感じつつ、ニュースの最前線に関わっている重大さを実感しています。ときには大型企画に携わって、記者とともに取材を行いながら深掘りしていくこともあります。

昨年に携わったG7広島サミットの企画では、戦争前の平和な日常にスポットを当て、当時の広島市内に暮らす人々の生活のイメージを手描きした地図を使って表現しました。取材や資料集めの苦労もありましたが、どうしたら読者に興味を持ってもらえるだろうかと考え、自分なりの表現方法を模索するのは、とてもやりがいのある仕事だったと感じています。

私は広島出身なのですが、大学進学で上京し、私がそれまで当たり前に得ていた戦争や原爆についての情報を、友人や周囲の人たちがほとんど知らないということにとても驚き、私が知っている「ヒロシマ」に関することをできるだけ多くの人に伝えたいと思うようになりました。4年次の卒業制作では、広島への原爆投下という歴史の一部分を、客観的に、冷静に表現した「ヒロシマを読む」という作品を制作しました。指導教員の先生から真摯な助言をたくさんいただき、なかでも「中路はデザインセンスはないけど、地道に数をこなす力がかなり強い」と評価されたことは、いまでも心に残っています。先生の言葉で自分の強みに気づけたことは、いまの仕事を目指すきっかけにもなりました。

大切な情報を伝えたいという思いは、学生時代からいまも衰えていません。今後も自分なりの表現を探りながら、「ナガサキ」や「沖縄戦」についても、しっかり伝えていけたらと思っています。