統合生が聞く!

深澤直人
インタビュー

「人間は何かを作りたい動物だと思う。」
と語るのは、統合デザイン学科の学科長の深澤直人先生。
今回はそんな深澤先生に、統合デザイン学科の学生が「つくる」を主軸にさまざまな質問をおこないました。

2つあって、一つは絵で一つはナイフ。ナイフは、小学生の時に木を削って作った。なんでそれを作りたかったのかはわからないけどすごく本物とそっくりに作った。

質問:学校の授業で作ったんですか?

じゃなくて、うちで作った。
一つは絵で、これも自分で描いただけだけど、オレンジ色が好きで、一面オレンジ色の絵を描いたの。画用紙の凸凹を消して印刷物みたいに したくて、クレパスをベットベトにして塗った。その時のことは覚えていないけれど、結構自分がいろんなことをわかるようになってきてからそれが出てきて、思わずなんだこりゃーって(笑)それも後から見たら結構芸術的だったね。でも、作るってそういうことだけじゃない。例えば全然関係ないことを言うとルールをつくるとか、法律をつくるとか。そういうことも全部つくること。全部基本的には同じつくるなんだけど、つくるということの概念がアートとかデザインになると限られてくる。

本来、つくることにはプロセスが必要で、誰かがそれを考える必要がある。でもみんなが集まってどうするどうするって言っててもしょうがなくて。それを考えるのも今はデザインとかそういう人の思考が必要になる。だから、彫刻とか絵画とかあるいはデザインとかプロダクトデザインとかそういうものは全部近いんだけど、それと同じ頭で別のものを作る。
仕組みを作るっていうことも、この学科ならではの大きなテーマではある。つまりはものを一個作るにしてもそれに行き着くまでのプロセスもつくってかないとそこに到達しない。そういうことをつくるってことに捉えて今回はこういうテーマになっているんじゃないかなと先生は考えている。全部終わっちゃった(笑)

自分の根源的なものを考えるようになるまでには時間がかかった。
自分でこれをあなたに作ってあげたいとかあなたに生産して欲しいとかみんなに広めて欲しいとか使って欲しいとかそう言う願望が根源的なもの。

一番その願望が叶ったのは無印良品で出している壁掛式CDプレーヤーと、auのINFOBAR。INFOBARの時は折り畳み式の携帯電話がぶわぁあっと世界中に広がりを見せていた。でもそれだけじゃないでしょうと思っていた。もうちょっと細っくて、かけやすい、まあチョコバーみたいなのがあったらいいねみたいなことを言っていて、これもスタンダートになるよってその頃は話していた。実は最初のプロトタイプは裏側に今のスマホみたいなタッチセンサー式の操作パネルがついていた。携帯電話の時代に今のスマートフォンみたいなものを考えていた。そしたらもう今ではみんなスマートフォンを持つようになって、それが世界経済を変えるぐらいの影響を見せた。その時に自分に対してそうじゃないだろと思った。こっちの方が正しいんじゃないのみたいなことを自分で言っているだけじゃなくてやらないとだめだなと思って、やり始めた時期がちょうど35歳から40歳になる間ぐらいかな。それから自分が考えるものは全て根源的でその適正な最適解を出していかなくちゃいけないと考えるようになった。そういう役割を自分なりに自覚してやり始めた。

世界をもっと適正な方向に変えられる小さなスイッチが必要。大きな船ってすぐにクイって曲がれるわけじゃないじゃん。「面舵いっぱーい!」ってやってるわけじゃなくて、こぉんな小さいスイッチやボタンで少しずつ動かしているわけ。それだけで船の軌道が変わっていく。それが適正のディレクション。そしてこのスイッチを作っているのがあなたたちであり、私たちであり、そのスイッチがどういうものなのかをできるだけ小さく簡単に考えようって言うのが統合デザイン学科。そうしていくと、社会はこんなでっかいハンドルを作らなくてもいいんだって気づき始める。

自分が全ての人と同じ考えだと思えばいい。
自分だけが違うとは思わない方がいい。みんなが同じようにいいことと感じているものを探すよりも、嫌なことで、これみんな嫌だろうなっていうものを探す方がいい。それをよく「違和感」とか言うけど。それは大したことじゃないから、みんなあまり自覚していない。気づいていないんじゃなくて、気づいているんだけどどうでもいいように流している。まったく...とか思ってもまあいいやって流している。そのまったく...みたいなのがある時修正されているとに逆に自分は気づくわけ。おっなんかよくなってるじゃん!みたいな。そういうことを誰かがやらなくてはいけない。それを大きな旗を振ってやろうとしても道路に空いている凸凹の穴がそう簡単に治るわけじゃない。まずはそれを探すところ、「あれ?」みたいに感じることをもう少し専門家的にやってみる。そうやって、じゃあどこを違和感として感じているのかを見つけ出して修正した方がやりやすいし、わざわざデザインしました!っていうものだと逆にに違和感を作っちゃたりもする。

前はデザインというのは個人や個というものに焦点を当てて、その人の好みを考えることががデザインの知恵って思われていたけどそんなことはない。マーケティングとかリサーチとか狙ってやるものじゃなくって、人間が本質的に生体的にあるいは生理的に、なんかこれいいじゃんと思っているような。その通り過ぎているような感覚を掬い上げてあげるということがあなたたちが得意としていることだと思う。それを修正したりするということがつくる、新しくつくるっていう概念。

あんまりないね。ものを作るということが辛くなったっていうことはないけど、それは絶対にできないからそんなことにこだわらないでもっとこうしてください、みたいなことに対してどうやって説明したらいいんだろうってこととか、相手と喧嘩しないでうまく溶け合わせていくことは若いデザイナーのころは苦労したというか、よく考えた。

そういう時代を経て、ものと環境と人とが調和して初めてそのものの良さが成立するっていうことを考えないと世の中バラバラだねって考えるようになった。いろんな種類の家電が売られている家電ショップとかで、そこにベタベタのシールが貼ってあって、そのものの形も何もわからないのにどっちが安いかとか便利かとかでみんな買っていく。そんなところにデザインなんか登場しない。そういうところに対してはもの凄く憤慨している。
だんだん世の中が良くなっていくと、テレビとソファはどういう関係がいいのかとか、あるいは見ない時にテレビって邪魔なもんだよねとか思うようになってくる。今はスマホでYouTubeとかも観れるし、そっちの方がデータの取り方も効率がいい。例えば映画の見方もベッドに寝っ転がって見てた方が結構リラックスするかもしれない、となるとじゃあベッドの布団どうしようかってことになったりする。それがもっと街になり、世界になり、っていうようになると全部のものが統合されてないとそのものの良さっていうものが結局わからなくなってしまう。そういうことを

やっと社会が考えるようになってきたから統合デザインというものも必要でしょっていうことになった。
今は特にコロナウイルスで世界中が喧嘩している時に、そうじゃなくてみんなが手を結んで何が一番いい方法か考えましょうみたいなことを語らないと。
統合デザインっていうのはそういうことで、それぞれの関係を考えつつ適正な手を打っていくっていくことを考えられるのは、政治家だけではなく、法律やルールを作っている人だけでもなく、全ての人が考える。デザイナーも当然そこに入らなくてはいけない。そしてそれをヴィジュアライズできるのはデザイナーだけだから、あなたはこういうことをお考えですか?それはこういうことではないですかって具現化してあげるっていうことを誰かがやってあげないといけない。今あなたが考えていることはこれですよって言うと、そうですって言う場合といやそれはちょっと違うなっていうことがはっきりわかる。はっきりわかるっていうことが重要で、出したものが悪くてもいい。今あなたが言ったこととちょっと違うなって形になるのも正しい答え。

それを誰かがやってあげないといけなくて、じゃあそれを誰がやるのかっていったらここにいる人たちしかいない。それなのに、あなたたちが作ったプロダクトの事案があったとして、そのプロダクトと全然違うグラフィックができて、これ全然よくないじゃん見せ方が...ってことがこの学校の中でも、縦にセグメントされたデザイン業界の中でいっぱいあるわけ。

専門性専門性って言うけれどそれだけじゃなくて、その専門の周りに付着している全てのものが統合されていかなくちゃいけない時代。それを考えられるから、そのものの真ん中にあるものが考えられる。それがつくるということ。

すごく人間の本質的なところに戻って考えればいいけど、人間は何かを作りたい動物だと思う。で作ってると安心する。
なんにも編み出さない、生み出さないっていうのはなんか不安だと思うの。だから、作りたい集団の学校に来てるっていうのは結構平和の中にいると思う。変なもの作りたいと思わないじゃない。そうは言ってもいいもの作りたい。そういう人がいっぱい集まってるから、すごく作りやすい場にいる。

つくるっていうのは自分を幸せにすることだし、みんなを幸せにすることだから。余計なものは作っちゃいけない。それが経済とか経営の下に入ると、余計なもの作っても金儲けになる場合があるわけ、そういうことはよく考えなきゃいけない。それが本当に正しいことかっていうことを考えなきゃいけない。

みんなが感じてる良いっていうことを自分のことのようにわかるようになること。
だから、誰か知らない人の好みを探れるってことは全然力じゃなくて、みんながきっとこれいいと思ってるようなあみたいなことに確信を持てる、つまり自信を持てるということ。

創造性っていうのは自信がないとできない。ちょっと自信ないけどどうでしょう...っていう人はいない。普通うまい寿司屋だったらうまい寿司ですって言って出す。で、こっちもうまいですよって食べる。でも、ちょっと味わかんないけどどうですか...って出されたら、こっちもえ...ってなる。それと同じで、クリエイティブっていうのは=自信。自信っていうのは自分に対する自信じゃなくて、相手に対する配慮、誠実な自信。あなたにとって良いですよってことをやってる。それがデザイン。だから自分がやりたいことをやるっていうのを創造性って思いがちだけど、そんなことじゃない。うまいっすよ~どうですか食べてみてくださいって。
そういうものが自信。そういう自信が持てるようなクリエイターになって欲しい。

質問:そういう自信ってどうやったら持てるようになるんですか?

自分が作ったものが、みんなにいいねいいね~って言われるようになったらめっちゃくちゃ自信になる。
それなしで急に自信にはならない。それで、なんとなく見向いてくれないみたいな冷たいことはあると思うんだけど、そこで自分は知るわけ。ああこれじゃ違うんだって。それでやっぱ成長していかなきゃいけない。そんな最初からうまくはいかない。若干最初は自信過剰でいい。
で、自信過剰になってドーンって落ちる(笑)この落ちた時に成長するから。とにかくやらないで私は自信持てませんはダメ。とにかくつくるつくるつくる...
つくってけば、その中で「おっこれいいかも」ってものが出てくる。つくって答えを出す。先生に聞いてこれいいでしょうか...っていうのが学校じゃない。自分が、なんかできたんですよ!みたいな感じが大事。

質問:先生はそういうのありましたか?

あったよ、大学で。形作るのとか何がいいか全然わかんなかった。
でも途中でね、あれもしかしてこういうことなんじゃないかなってなんか美しい法則ってこういうことなんじゃないかなって思ったら、みんなにいいって言われているものは全部そういう法則の中にあるなって。だから見えてない法則みたいなものってあって、それをまず探す。そういうのを原型っていう。それを身につければ大体のものはできるよ。

あと、先生がみんなに担ってほしいなと思うことは、スタンダード=標準を上げること。
スタンダードっていうのは何か高いモノを買ったり、土地を手に入れたりとか、格差社会の中で生まれてる価値。特にお金の価値が高い基準で人の生活価値を決めているから、誰もがクオリティーの高い生活をできるようなことを考えることがスタンダードで、つまり標準を上げることが重要になってくると思う。例えばヨーロッパのイタリアやスペインとかはお金がたくさん儲かってる国ではないのに、一般の人のレべルからすごい生活の質が高いなあって。おいしいもの食べて、めっちゃお洒落して、綺麗なとこ住んでそれが当たり前なんだよね。
そういうことが僕らはまだすごい金持ちになってもできないだろうし、ならなかったら当然できない。だからそのスタンダードをあげないといけない。別にお金なくても毎日美味しいものを食べられていいねぇ、おいしいねぇとか。その価値をわかってないわけよ。他のハイスタンダードを知らないわけだから。そうするとそれを教えてあげる人が必要になってくる。そうしないと、スタンダード=標準が上がっていかない。標準をあげるっていうのはデザイナーの力だと思う。まず経験をすること。世界に出てそこで経験した細かな豊かさみたいなものを解釈して伝えていってあげればいいと思う。

あとね最近気に入ってる言葉があってそれは”美しい考え方”。
美しいものを作るんじゃなくって美しい考え方をすること。そうすると自然とそっちにいくから。人間は生きるか死ぬかだったら、生きる方を選ぶ。無意識に人間は常に正しいことを選んでいるからね。同じように美しいか美しくないかでいうと必ず美しい方を選ぶ。例えば、カフェとかに行ったら絶対あそこの席に座りたい!とかって自然と考えてるって(笑)だから美しい考え方をすること。その先に美があると思う。