WORKS &
INTERVIEW

-作品とインタビュー-

色彩や形態、構成といった造形の基礎、更に動作や
時間、視覚以外の知覚がもたらすビジュアル・コミ
ュニケーションや構造や機構を伴った立体構成の知
識とその制作スキル、「情報」という直接は目に見
えないものについての扱い方について課題制作を通
じて学んでいきます。平行して、デッサンやドロー
イングなどの描写や立体造形の制作も行い、骨太な
表現力を身に着けます。

学生インタビュー

あなたの思う“つくる”とは?

日常の気付きや問題の提起に対し、表現メディア、
媒体、物体や環境あるいはその組み合わせのうち相
応しい表現方法を選択しながら、適正なデザインへ
導くためプロセスを理解します。そのために、タイ
ポグラフィー、ダイアグラム、写真、造形技法、イ
ンタラクション、Webといった演習を通じ、アイデ
アを具体化するさまざまなスキルを修得します。描
写や立体造形はここでも引き続き行い、更に高度な
表現力を養います。

学生インタビュー

あなたの思う“つくる”とは?

社会的な問題や生活から導きだされる焦点(Issue)
から解決策や調和を生み出す仕組みを構築します。
そこに必要なモノ、環境、コミュニケーションなど
の統合された全体をデザインすることを「プロジェ
クト」と呼び、担当教員ごとにゼミ形式で行う授業
を通じて遂行します。そこでは教員固有の専門性を
活かしたクロスレビューも実施します。更に幾つか
の科目から自由に組合せを選択できる「デザイン演
習」を通じてより専門性を深めていきます。

学生インタビュー

あなたの思う“つくる”とは?

3年次に引き続き「プロジェクト」「デザイン演習」
を行い、4年間の集大成となる卒業制作に取り組み
ます。

学生インタビュー

あなたの思う“つくる”とは?

川尻優/Yu Kawajiri

統合デザイン学科佐野プロジェクト卒業。
現在は同大学グラフィックデザイン学科にて副手と
して勤務しつつ、ファッションを学んでいる。

統合を卒業し、現在は働きつつ憧れていたファッションの学校で勉強しています。
そこでの授業で学んでいることの一つに、オリジナルは自分のオリジン(起源・原点)から生まれるというものがあります。

ものづくりをしていると、やはり個性的であること、オリジナルであることが求められることや、自分自身そうでありたいと思う瞬間が多々あります。
なぜつくるのか、どうつくるのか。それら全てのヒントが自分のこれまでの経験やに隠れているということを大学時代、そして今も実感しながら過ごしています。

私は小さな頃から、絵を描くことが大好きでした。
面白いことが大好きな反面、自分の気持ちを表現することがそこまで得意でなかった私は、友達や家族とも共有できない一喜一憂を、話すように、日記を書くように絵にぶつけていました。絵にはどんな色を使ってもいいし、どんな形のものを描いてもいい。できた絵を見せると、母親や友人が褒めてくれる。
その頃の私にとってつくることは自分だけのもので、自分に自信を与えてくれるものでした。つくることで自分自身のバランスを保っていました。

その後美大進学を志し、予備校に通い、憧れの大学でつくることを「勉強」し始めるにつれ、自分の作品が外からの評価を受けるようになり、つくることは私だけのものではなくなりました。 同じ時間をかけて制作した課題で褒められる友人と、声もかけてもらえないような私。なんとなく、写真の撮り方やレイアウトの仕方に「これが妥当」という一定のラインがあり、皆そこに合わせて作品を作っているような雰囲気。これらは私個人の感覚によるものですが、そんな経験が増え、どんどん手が動かなくなりいつからか「つくらなきゃいけない」と義務的に感じる瞬間も増えるようになっていました。学科の1.2年生という、引いた目線で見てみれば小さなコミュニティの中でいつからか「評価を得ること」が大きな目的になってしまっていたのだと思います。

そんな私がつくることにもう一度前向きになれたのは、3年時、プロジェクトに入ってからです。それまでと同じようなやり方では、「普通で面白くない」「もっと好きにやるといいよ」と言ってもらえる自由度の高さが自分にぴったりと合い、課題に取り組むことがとにかく楽しかったです。何を作っても、どう作ってもとにかく良いものは良いのだと私自身再確認しました。そんな、つくる楽しさを取り戻しかけていた中で、またつくることの壁にぶち当たることになりました。昨年経験した就職活動です。

就活用に作品を増やさなきゃ、受ける企業に寄せて課題に答えよう、などとつくることをコントロールしながら、少しでも自分をよく見せようとしていることへの違和感に耐えられなくなり、迷いながらの活動には結果が付いてくる訳もなく、連戦連敗状態でした。悩んでいる私に、先生方はとにかく手を動かせ、と言っていただいたのですがそのやり方も分からないくらいに、それまで私を支えてくれていたつくる事が苦しくなってしまっていました。少し休まないと無理かもしれないと感じ、パンデミック禍の、明日の状況も分からないような中、一人自室で悶々としながら、今本当にやりたいことは何か?を手を止めてよく考えるようになりました。
裏紙に自分の性格や好きなことを書き出していく中で、昔から古着が好きで地元に一・二軒しかない古着屋に通っていたことや、海外のコレクションがずらりと載っている雑誌を眺めながらイラストを描いていたこと、大学に入って一番好きになったグラフィックデザイナーはファッション広告を多く手がけるM/Mparisだったことなど、昔からいつも、自分をワクワクさせていたのはファッションに関係することだった、ということに気がつきました。それまでは、できるだけ有名で、大きな会社にいかなければと必要のない義務感を感じていたところから、大きく方向転換をし、「よし、一からファッションを学ぼう。」と私にとっては大きな決断をしました。肩の力が抜けたと同時に、それまでとは違う緊張感を感じたことを覚えています。

卒業制作も、そう決めてからは大きく迷うこともなく、時間が足りないくらいにやりたいことが次々と浮かんできて、どこまでも真っ直ぐに取り組むことが出来ました。思い返してみれば、実家が海の近くにあったから、作品に使う色も寒色の物が多くなっているのかな、とか、コンプレックスに対して揶揄されたことが忘れられず、人の外見をジャッジするような言葉や雰囲気に対してとても敏感だ、とか自分の過去を思い返すと、これまでの作品に繋がっていくような地元の景色や経験に気がつく瞬間がとても多いです。

そしてそれらには、私に限らず、全く同じ経験をして生きる人がいないように、その人それぞれのつくるきっかけ、動機が隠れているんだな、と思うのです。

つくることは話すことや文章を書くことと同じで、元となった感情や経験がリアルであればあるほど、語気が強まったり、筆圧が強くなるように、そこから生まれるエネルギーは作品に強さを宿して、周りを巻き込むようなものになるはずです。逆にあの人はこっちの方が好きだろう、自分はあまり好きじゃないけど課題にはこう答えたほうが無難だろう、とか、つくる理由を見失ってしまっているものに熱はこもらないし、セリフを言わされているような違和感が生まれるのかもしれません。それらはもちろん、見た誰の心にもにも響くことはないと思います。もちろん、あの人にこう言われてムカついた、道端に生える草が自分にはとても魅力的に見えた、とか事の大小は関係ありません。自分の中に強い感情が生まれたら、それを見逃さずに、大切に大切に込めていくことで、自分自身も納得できるものがつくれるのかな、と感じています。

“つくる”は自分自身からはじまるものです。当たり前のようなのに、私は見失っていた瞬間がありました。

この文章を読んでいるのは、オーキャンの係の学生さんたち、そして、多摩美、統合を志す学生の方達がほとんどでしょうか。
これから、周りの言葉や、思うように動かない自分の手に落胆し自信がなくなる瞬間が必ずあると思います。でも、自分自身がある限り、つくるきっかけはなくなりません。もし今、作品が自分の手から離れていくような感覚を持っているなら、一度、自分が人生で初めてつくったものや、なぜ今までつくることをやめなかったのか思い返してみて欲しいです。無理やり手を動かしてつくることが嫌になりそうだったら、休憩することも大事だと私は思います。純粋につくりたい、その気持ちが自分の中から生まれてくるだけで尊いです。私自身、毎日悩みながらですが、なんでもない感情を頼りに色鉛筆を走らせていた頃のように、どこまでも自分と向き合いながら、そして大切にしながらつくることを続けていけたらいいなと思っています。

一緒に、つくり続けましょう。

佐藤明日野/Asuya Sato

統合デザイン学科中村プロジェクト卒業。
現在はtha ltd.にて勤務している。

統合デザイン学科(4期)卒業生の佐藤明日野です。

私の所属していたプロジェクト、中村勇吾プロジェクトのテーマを拝借し、プロジェクトに所属してからの2年間、私が取り組んできた経験と共に「作る」について考えたいと思います。

中村プロジェクトのテーマは、作品を「面白がり続ける・作り続ける人になろう」でした。
作品を「作る」という行為は、「仮説を立てる→検証する→改善する」という反復運動であり、この反復運動に慣れてくると自分の中で、作品を作るリズムを掴ることができ、作り続けられる体質になってくるという話が教授からありました。この話を聞いたときは、とても感銘を受けたのですが、そこから3年生の課題に追われ続けてるうちに、意識が薄れていました。

4年生になると卒業制作が始まります。
卒業制作は、4年の最後の1年間をかけて取り組む学生生活最後の作品です。
私の卒業制作は、「水らしさの広がり」という、水平に設置した、ディスプレイの上に、水滴を設置し、波紋や反射など水の現象をモチーフにした映像を水滴越しに眺めるという作品でした。(興味がある方は、「水らしさの広がり」で検索すると動画が見つかると思います。)
卒業制作に取り組んでいた夏頃、私は自分の作品に対し、面白がり続けるということができなくなっていました。
水とディスプレイを用いて作品を作るということが決まり、大元のテーマが決まり、プロトタイプを作ってみたりしたものの、そこからアイデアが全く広がっていきませんでした。なんかある程度できてるし、もうこれ以上よくならないだろー的な風に思って飽きてしまい、自分の卒業制作を「面白がり続けること」が出来なくなっていました。

この行き詰まったことをきっかけに、「面白がり続ける・作り続けられる人になる」というプロジェクトのテーマを、改めて考えるようになりました。
まず、「仮説を立てる→検証する→改善する」という工程に自分の製作状況を当て嵌めて考えると、現状は、仮説を上手く立てられてないため、面白がれていないように感じました。
続いて、逆に面白がり続けられた時のことをそれまでの大学の製作で振り返ってみると、プロジェクトの課題の「N点の動き」とインフォメーション演習の「wheels」という3年の前期にでた課題は、とても面白がることができていたことを思い出しました。
どちらの授業も、毎週一人一人発表をし、他の人は先生含めて思った意見を好きに言っていくという、とても意見交換が活発な授業形式でした。特にこの二つの課題は、3年の最初の課題でした。そのため同じ授業の人もやる気に満ち溢れていて、議論が活発だったように思います。そういう授業の中、毎週みんなの意見やアドバイスをたくさん貰い、それによって仮説を立てることができたので行き詰まるまで、全力で作りきってから次の授業で、また意見やアドバイスをたくさん貰い、それを元に仮説を立てるという流れで製作していました。そうした授業の状況が仮説を立てるこという行為をサポートしてくれていたように感じました。

しかし、卒業制作をしている2020年は、新型コロナウィルスによって、学校は閉鎖し、人に直接会って意見をもらうことができず、オンラインでも毎週発表はありましたが、当時授業の仕方も手探りだったため、上手くみんなで意見を言い合うような流れにはならず自分の仮説を立てることが苦手という弱点が出てしまっているのだと思いました。

そのことに気付いてからは、人に会うことが出来ない状況であっても、自ら教授や友人に積極的に連絡を取り、オンラインで意見を貰うということを繰り返しました。さらに、苦手に気づけたことで、人から作品に言われた意見やアドバイスなどをメモるようになり、他人の視点を持つために意識的になれました。それによって作品に対する、視点が広がり、卒業制作に対し、面白かって取り組むことができました。

この経験から、「面白がり続ける・作り続けられる人」でいるためには、「多くの視点を持つ」ということが大事だと思いました。多くの視点で物をみて、様々な仮説を立て続けることが必要で、多くの視点を持つということは、様々な人に意見を貰うことで、達成できると思います。
人から意見やアドバイスを貰うということは、その人の視点を借りて作品を見るということだと思います。つまり、多くの人に相談すると、無理やり多くの視点で作品を見ることになります。そうして多くの視点で作品を見ることで、そこから仮説を立てやすくなり、「仮説を立てる検証をする改善する」という「作る」プロセスの反復運動を行うことができるようになるのだと思います。

さらに、意見をもらって終わりというわけではありません。一度他人の視点で物を見る経験をすると、一人でもその視点が自分の中に少しずつ持てるようになります。他にも視野を広げるために本を読んだり、他の知識を取り入れたりして、視野を広げることもできると思います。
大学という場所は、それに適しています。
特に統合デザイン学科には、グラフィックやプロダクト、インターフェースや写真などなど多種多様なジャンルの先生や専攻の友達がいるので人に相談して、視野を広げるということ、とても向いています。なかなかここまでいろんな人に相談できる場所は、他にはなかなかないと思います。
人から意見を貰って、視点を増やすには最適な場所だと私は思います。
自分1人の力だけではなく、大学という環境を活用することで「作る」の幅がより広がったような気がします。大学で培った視点を増やすということを糧に、今後も「面白がり続ける・作り続けられる人」なれるように励んでいきたいです。