こんにちは、尹です。これから多摩美の工芸学科陶プログラムで、4年間、実際にどんな内容のカリキュラム(履修過程)の授業をしているかという、大まかな流れをお話します。お話する内容をA・B・C・Dの4つに分けてみました。まず、はじめに「A.
4年間のカリキュラム全体のねらい」を、そして「B. 各学年のカリキュラムの内容」「C. そこでつくられた学生の作品」をお見せして、「D.
最後のまとめ」という順番で喋らせていただきます。
まずAの4年間のカリキュラム全体のコンセプト(ねらい)についてお話する前に、お話の前提となる「2つの視座」を設定してみたいと思います。視座というのは、何かを眺めるときの自分の立つ場所、ここから眺めてみると見える風景も変わってくるだろうという意味なのですが、2つ考えてみました。ひとつは「やきもの」という視座で、もうひとつは「クリエイター、表現者」という視座です。
はじめの「やきものという視座」についてお話します。
先週の中村先生のお話のなかにも、あるいは、この学科のことを説明する文章のなかにも、気をつけて見ると陶芸という言葉は、実はほとんど出てきません。私たちは実際の会話の中で、「陶芸」と「やきもの」、場合によっては、「陶」という言葉を使い分けていますが、それぞれ何をイメージしながら言葉を使い分けているのでしょうか。
その意味する中味にどんなバラつきがあるのか疑問に思いまして、今年の4月、新1年生22人にアンケートという形で、「陶芸」と「やきもの」という言葉が何を含むか、その思いつくものをそれぞれ具体的に書いてもらいました。この時期の新1年生に訊ねてみたのは、この多摩美の陶プログラムで専門的な勉強を本格的に始める前の、彼らの考えを知りたかったからです。それはおおむね世間一般の考えに近いと考えたからです。その結果がこれです(図3)。学生の50%といちばん多かったのが、左の、陶芸のなかにやきものが含まれるという考えです。この場合のやきものとは、おもに陶でできた実用品、例えば、食器やタイルや便器などで、これに芸術的、造形的・表現的な、いわゆる作品と呼ばれるものを加えたのが、「陶芸」であると考えるグループです。
反対に、右側のグループ、23%の学生が、やきものというジャンルのなかに陶芸が含まれると考えています。この場合の陶芸は、食器などの実用性のあるものをおもにさしているようで、そこに芸術的・造形的・表現的なものを加えて全体として「やきもの」と呼ぶという考えです。27%つまり22人のうちの6人がやきものも陶芸も言葉で指し示すものに、違いはないと考えるという風に答えてくれました。(注1)1年生の回答のうち、二人の学生人が、「やきものは陶でできたものをさす言葉で、陶芸は行為を指す言葉である。だから陶芸によってできたものを指したいときには陶芸作品とつけるべきである。」という国語的に驚くべき正しい説明をしてくれました。ただ、私の質問の意図はもっと漠然とした意味内容が知りたかったわけです。)
私個人としては「やきもの」という広いジャンルの中に「陶芸」というものがあるというふうに考えたほうが感覚的にはしっくりきます。この辺りの感覚というのは、「格闘技」というジャンルの中に相撲(プロレスやK-1等)がある、そういう感覚に近いのですが……。(注2)それは陶という材料でできていて、表現性・造形性・芸術性が高いものであって、なおかつ「陶芸」という範疇では収まりのつかないものがたくさんあるという現実を知っているからです。)
ですから私は、多摩美の陶プログラムでは、陶芸の教育というよりは、陶による造形教育、クリエイター教育というふうに考えて行きたいと思っています。陶という素材で何ができるか、そのために、陶を教材というとらえ方で一度突き放してみる、そのほうがかえって広がりが見えてくると思います。またそのほうが、さっき井上先生がいったような、手と思考の連関というような、かなり微妙で難しいところも、わかりやすい形で感じ取りながら思考して、ものをつくっていくことできると思います。
ここに「陶は手つくりの教材としての完全食品」と書きました。サツマイモのように、全ての栄養分をバランスよく含んでいるものは、それだけを食べていても健康に必要な栄養を摂れるので、完全食品というそうです。陶という素材は、いろいろな性格をもつ素材なので、例えば、木とか石、他の材料に比べたときに、芸術や造形表現のための素材としてかなり有効であるだけでなく、手つくりの造形教育の教材としてもバランスがとれていて、いわば完全食品であるという意味です。
もうひとつの視座として「クリエイター、表現者」ということがあります。多摩美の陶プログラムでの勉強は、学生が将来何になるための勉強かというとき、陶芸家や工芸家というような特定の具体的な職業に就くための勉強であるというよりは、もう少し大きく、さらに正確にいって、クリエイターや表現者、もっというなら、つくり手というような言葉のほうが答として正確に思えます。
クリエイターとは創造する人という意味ですが、世の中の役割分類で、つくり手、送り手、受け手でいうと「つくり手」になります。このつくり手を職業区分でいうと、美術系作家や、工芸系作家、広告や印刷などのグラフィックデザイナー、製品や装置系のデザイナー、企画系のお仕事などがあります。まあこれはかなり乱暴な分類ですが、例えば、つくり手が実際の活動の現場で発想とかアイデアを出し合う場面で出てくるのは、案外もっと、何でしょうか、ジャンルを超えたものになっていますし、また、そういうものを求め合っているような動きを最近強く感じます。
ですから、いま、つくり手として具体的な職業名を一部出しましたが、こういう仕事の向こう側にクリエイターという概念があるのだと思うわけです。クリエイターとして生きていくためには、2つの必要な力があります。
1つ目はアイデアを生み出す力、発想の力です。発想・着想の仕方をコントロールする、自分の考え方を見つける、そんな力です。
2つ目は、そういうアイデアを実際の制作プロセスの中に落とし込んで段取りとして最後まで仕上げていく力。デザインだから美術だからという区別とは又別に、現実的に何かをつくり出して、送り出す以上、与えられた条件のなかでベストのものをつくって終わらせなければなりません。課題のなかでそんな力をつけていきます。(注3)長沢節という有名な舞台デザイナーが、40年か50年か舞台のデザインの仕事をしてきたけれども、予算と時間が十分だった仕事は一度もないと言っていました。学校の課題にしても与えられた時間や条件の範囲で終わらせることもひとつの能力です。)
以上が授業を進めていくうえでの、基本的な考え方です。
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