TAMABI NEWS 82号(アニメ-ションの可能性特集)|多摩美術大学
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学生の自由な発想と表現を尊重する多摩美からは、独自の世界観を持つアニメーション作家が多く誕生しています。そうした作家性は海外でも高く評価され、国際的なアニメーション映画祭で数々の賞を受賞しています。5 でんすけ28号さんは、在学中さまざまなコンペに作品を出品していたところ、作品が海外のダンス・エレクトロニックバンド『Your Gay Thoughts』の目に留まり、ミュージックビデオの制作を依頼される。それをきっかけに卒業後、フリーランスの映像作家・アートディレクターとして活躍の場を広げている。 「運がいいことに大学時代に制作した映像作品を見てくれた多方面の方々から仕事のお誘いがあり、もしかしたら就職せずに生活できるのではないかという確信のない希望を信じて卒業後からフリーランスで活動人間の営みを独自の映像表現で描き出し、数々の受賞 『夏のゲロは冬の肴』冠木佐和子 13年グラフィックデザイン卒ビデオゲームのバグをモチーフにした世界観に海外から制作の依頼が『Qiezi Mabo loves PUNPEE - Qiezi Mabo Forever(Fried Chicken Mix)』でんすけ28号 16年メディア芸術卒企業広告やミュージックビデオなど多岐にわたるメディアで活躍中 『LET YOUR BEAUTY GLOW │ Synchro Skin Glow Foundation│Shiseido』稲葉まり 02年グラフィックデザイン卒アニメーションとパフォーマンスを融合させ、モスクワでも大反響『ようこそぼくです4 〜ようこそぼくですってなんですか?〜』姫田真武 11年グラフィックデザイン卒Kabuki Sawako 13年にグラフィックデザイン学科を卒業後、就職するがすぐに退職。その後、多摩美術大学大学院を修了し、作家活動をスタート。卒業制作作品『肛門的重苦Ketsujiru Juke』が「アヌシー国際アニメーション映画祭」ノミネート、「ザグレブ国際アニメーションフェスティバル」学生部門グランプリを受賞。Densuke 28 16年に大学を卒業すると同時にフリーランスの映像作家として活動を開始。3DCGを用いた独自の表現で映像ディレクションやグラフィックの制作を行っている。アーティストネームの「でんすけ28号」は、小学生の頃にやっていたオンラインゲームでのハンドルネームとのこと。Inaba Mari 卒業後、クリエイティブユニット「生意気」に勤務し、印刷物、ミュージックビデオ制作などに関わり、2006年に独立。切り絵を用いたコマ撮りアニメーションやイラストレーション制作を行う。18年よりNHK Eテレ『シャキーン!』にて「まつりばなし」を馬■町バンドと手がけている。Himeda Manabu 自作自演の歌とアニメーションを制作。デビュー作の『ようこそぼくです』は、「こどもアニメーションフェスティバル」グランプリ、「第17回学生CGコンテスト」 審査委員賞を受賞。『ようこそぼくです2』は、2013年「オタワ国際アニメーションフェスティバル」学生部門にノミネートされ特別賞を受賞。 海外で展開された資生堂のCMなど、言語を用いずに切り絵、ドローイングを駆使してアニメーションやグラフィックデザインを手掛ける稲葉まりさん。時代を担う作家を紹介する書籍『映像作家100人』に08年、12年、17年、18年に続き今年も選出されています。 「4年生の夏休みに、知人の紹介で東京を拠点に活動を展開していたニュージーランド出身のデビッド・デュバル・スミスとイギリス出身のマイケル・フランク率いるクリエイティブユニット『生意気』にポートフォリオを見てもらい、アルバイトをさせていただくように 自作自演の歌とアニメーションを融合させた『ようこそぼくです』シリーズで注目を集める姫田真武さん。アニメーションに生身の人間が参加し、音楽に合わせてアニメキャラクターとして動くワークショップを各地で開催。2018年にはモスクワでも、このワークショップを開催し話題を呼んだ。 「大学ではジャンベ民族楽器部に所属し、ほぼ毎日のようにジャンベを叩いたり、アフリカンダンスを踊ることに熱中していました。地域のイベントや学園祭などに出演することも多々ありました。そのおかげで、 世界4大アニメーション映画祭の一つ「アヌシー国際アニメーション映画祭」の日本アニメーション特集で作品が上映されたほか、世界各国の映画祭でのノミネートや多数の受賞歴を持つ、冠木佐和子さん。彼女の独特な世界観と映像表現に世界が注目している。 「グラフィックデザイン学科では、2年次にアニメーションを作ることが必修だったので仕方なく作りました。その後、3年生に進級する際、水曜日に履修したい授業がなくて仕方なくアニメーションの授業を選択。し、そのまま現在に至っています。世間や周囲の評価を気にしたり狙ったりするよりも、結局のところ自分自身が見たり体感したいモノを求める姿勢が作品づくりにおいて重要であるということを大学生活を通して痛感しました。今でもその信念は崩れていません」4年生に進級する際、飲み会の席でみんなから『卒制もアニメにしなよ!』と言われ、仕方なくアニメを作りました。その卒制作品が、たまたまいろんな映画祭に入選したり受賞したりして調子に乗りました。それで新卒で入社した会社を辞め、アニメーションの世界に戻って来て、今、って感じです」なり、卒業してからも4年ほどスタッフとして働いていました。その間に知り合った人とのつながりは今に至るまで大きいと思います。独立してからは前職のつながりでお仕事や企画のお話をいただくようになり、書籍やウェブメディアなどで紹介していただける機会に恵まれたりして今に至ります」パフォーマンス表現にも興味を持ち、ジャンベ民族楽器部での活動がそのまま自分の表現活動へとつながり、歌やダンス、パフォーマンスなどの要素を詰め込んだ今のアニメーションスタイルのきっかけとなりました」

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