大学人・造形作家としての軌跡 2005年 メディアセンターで川本喜八郎監督の 07年、日本を代表する建築家・伊東豊雄氏の設計による図書館をはじめ、情報デザイン・芸術学棟などが続々と完成し、八王子キャンパスの再開発が一段落。髙橋教授が教務部長に就任した96年当時の本学の入学定員は約675名でしたが、学長在任中には1,000名を超える規模の大学にまで発展させました。再開発の完了を見届け、同年3月に学長の任期満了を迎えた髙橋教授は、その後も情報デザイン学科で教鞭を執りつつ、最新のテクノロジーを活用した教材や作品作りを率先して実践し、教育と研究に、より一層の情熱を注がれました。 中でもマルセル・デュシャンやシュールレアリズムに深い影響を与えたフランスの小説家レーモン・ルーセル(1877-1933)に強い関心を持ち、その言語表現をメディア芸術の先駆けと捉えた論考「ルーセル考:自由芸術の発明」を09年に自身のWebサイトでるというのが士郎さんの思想で、『自由芸術』と言っていたのはそういう意味もあったのでは。もっとアートを楽しんでいい。教育も研究も制作も『楽しい』という気持ちがいちばんで、士郎さんの根底にはいつもそうした夢があったと感じます」(港教授) 現在、港教授、メディア芸術の寺井弘典教授、莇さんら情報デザイン学科有志で、学内に高橋士郎研究会を設置する計画が持ち上がっています。「士郎先生のところに行ったら絶対おもしろい!と思って髙橋ゼミを選び、助手時代には学生から『士郎語の翻訳者』と思われていたこともありました。士郎先生は天才肌の研究者で偉大な作家でもありますが、自分で自分を広報して売り出すという方ではなかったため、いわゆる美術史として語られることがあまりありません。高橋士郎の魅力や功績をもっと広く示したい。高橋士郎の研究者になりたいという気持ちになりました」(莇さん)髙橋教授のアトリエのある株式会社バボットは上 人形アニメーション映画『死者の書』撮影開始 製作実行委員に就任 2011年 東日本大震災復興支援活動 12年 台北ビエンナーレ 港千尋キュレーション 発表。ルーセルが小説の中で考案した装置を作品として再現しようと取り組みました。メディア芸術の港千尋教授をキュレーターに、04年情報デザイン卒業生で元助手の莇(あざみ)貴彦さんなど多くの本学関係者が関わり、13年3月、髙橋教授の退職記念展として、高橋士郎個展「自由芸術展 〜レーモン・ルーセルの実験室〜」が開催されました。 「士郎さんの場合は企画が持ち上がった段階でもうほぼ展覧会ができているんです。台湾(12年台北ビエンナーレ)の時も、あいちトリエンナーレ(16年)も、古事記展(20年川崎市岡本太郎美術館)も、構想は全部サイトにあがっていて、作品の制作も終わっている。僕たちがやったのは、それをどう解釈して、どう人に伝えるかということ」(港教授)「今までもサイトに載っている画像やテキストから士郎さんの思想を紐解いて展覧会やカタログを作った。同じ布陣であればこれからも、いくらでも士郎さんの展覧会ができると思います」(莇さん)野毛キャンパス南門から徒歩約10秒のところにあり、2,000体を超えるバボットがコンパクトに収納され、その出番を待ち構えています。13年に退職された後も髙橋教授はアトリエに行く傍らキャンパスに立ち寄られ、学生や教職員らとの交流を楽しんでいました。「学長室にもふらっと来られ、いつも多摩美の歴史を教えてくれていました。髙橋先生のビジョンはいまも大枠として継承されており、本学の中興の祖といっても過言ではないでしょう」(建畠学長)20年10月の古事記展終了後からは、本学の歴史に関する資料の収集や論考の執筆にあたられていました。論考は髙橋教授のWebサイトで公開されており、そこには孔子の論語から■仁里爲美*(仁にお里るを美と為す)=人への思いやりをベースにするのは、美しく立派なことである■という言葉の引用と共に■思いやりのあるキャンパスに美は為る■と書かれています。「髙橋先生はいつも能動的に、活動的に動くことに意欲を燃やす人。おとなしく維持するといよし 「デイリリー・アートサーカス」に参加(代表:開発好明) 「瓢箪美術館」に出品な 2013年 多摩美術大学を退職 3331 Arts Chiyodaにて 「自由芸術展〜レーモン・ルーセルの実験室〜」開催 20年 川崎市岡本太郎美術館にて 高橋士郎の思想が無限に体現される―膜体内部の空気圧を駆動力とするシンプルな構造で故障が少なく、自在にサイズを変えることができ、組み替えることもできる、気膜造形『バボット』の持つ特性が、それを可能にしています。「ルーセル展も古事記展も同じ作品を組み替えて発展させたもの。士郎さんのクリエイションの一つの『型』でもあります。次はジュール・ヴェルヌもやりたいと言っていた。サイトにはまだ隠されているものがあるかもしれない。これがゴールという感じはありません」(港教授)髙橋ビジョンの継承と進化自由自在に出現と消去を繰り返し、日常の中に非日常を演出する『バボット』は、ダイナミックでありながら、丸みを帯びてやわらかく、人間的な温かみもあり、髙橋教授そのもののようにも感じられます。「バボットは優しいテクノロジーで、子どもが気軽にさわることができるアート。あらゆる規制を乗り越えうことでは収まらない。今後もある程度の流動性を持ちながら、新しい要素を付け加え、大学を進化させていく必要があると考えています」(建畠学長)*論語の表記は「里仁爲美」取材協力:建畠晢 学長、和田達也 教務部長/プロダクトデザイン教授、楠房子 情報デザイン教授、田淵諭 キャンパス設計室長/環境デザイン教授、山下恒彦 劇場美術デザイン教授、港千尋 メディア芸術教授、莇貴彦(04年情報デザイン卒業) *掲載順米山建壱(アートアーカイヴセンター)、稲垣雄介(キャンパス設計室)有馬拓也、政木裕太(株式会社バボット) 「高橋士郎 古事記展 神話芸術テクノロジー」開催学生と談笑する学長時代の髙橋教授レーモン・ルーセル展での作品「ダントンの首」古事記展「涙の神」(撮影:港千尋)撮影:古屋和臣15髙橋史郎TAMABINEWSバボットが思想の体現を可能にあくなき探求心とクリエイティビティ2010
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