TAMABI NEWS 95号(漫画という表現力)|多摩美術大学
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 最初に漫画家になることを意識したのは、小学生の頃です。身体が弱かった僕は、家で漫画を読んだり絵を描いたりする時間が長く、漫画が生活の一部となっていました。初めて描いた漫画は、小学6年生の自由研究で描いた15ページほどの「織田信長の生涯」。その次に描き上げた漫画は多摩美の卒業制作で、中学生から28歳まではまったく漫画を描いていませんでした。中学生までは美術部で絵を描いていたのですが、高校では帰宅部になり、絵や漫画から離れてしまったんです。漫画を描かなきゃという焦りを感じながらも、なんの努力もできていない毎日を送っていました。それもあって、高3の進路面談で「(漫画家は)厳しいと思う」と先生に言われたときには、自分には才能がないんだとあっさり諦めてしまいました。美大に入学するにも勉強が間に合わない時期だったので、国際基督教大学(ICU)の人文科学科へ入学。卒業後は博報堂に入社し、コピーライターになりました。 就活で広告業界を選んだのは、漫画と同じく子どもの頃から好きだったテレビCMが理由です。正直、就職活動の際にも頭の片隅には「絵や漫画を仕事にしたい」という思いがありました。でも、美大を卒業していない自2023年8月に出版されたコピーライター時代の体験を漫画化した『ゾワワの神様』(©うえはらけいた/祥伝社)分はイラストやデザインをするのは難しいだろうと考え、クリエイティブな仕事の延長線にあるコピーライターの道へ進みました。 博報堂を退職して美大に編入することを決めたのは、新卒で働き始めて5年目の26歳のときです。美大出身のデザイナーの方や、副業で各々のクリエイティブを発揮して活躍している先輩方に触発された部分が大きかったですね。広告業界で憧れの存在だったアートディレクターの大貫卓也先生や、TUGBOATの川口清勝先生の授業を受けられることに惹かれ、多摩美への編入を決めました。まだ自分が漫画家になれるという確信を持てなかったので、そのときは多摩美での学びを活かし06漫画は一生をかけて取り組む価値のあるものと実感フタをし続けた絵を描く仕事に多摩美でようやく向き合えたうえはらけいた-漫画家[18年グラフィックデザイン卒業]ICUを卒業→博報堂のコピーライターに→多摩美へ編入→デザイナーから漫画家へ

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