1年 演習5「観察_敢えて何もないところを見る。」05左:「デコボコの舟」でモチーフとして描かれている「逃げている人たち」 右:手のひらと思しき部分が、反転した手の甲になっている「すくう、すくう、すくう」(2021)ドイツ留学時代に描かれたドローイングはあくまで人間のほうです。だから、私は彫刻自体が究極に真実であるべきだと考えていますし、物質との対話を続けることで、見えてくるものがあると思います。 こうした考え方は、ドイツで身についたのかもしれません。昔から女性の立像を制作したくて、学生時代は多摩美で具象人体彫刻と向き合っていました。しかし、当時の私はアカデミックな作法に囚われるあまり、限界を感じ 油画には想像力がたくましく、自分の世界観を確立していく力に長けた学生が多い印象です。しかし良し悪しがあり、表現が限定的という考え方もできます。好きなものに囲まれて、内的世界に閉じこもった状態。そうした既成概念から脱して、外的世界をニュートラルな視点で見つめることが表現、もっといえば生きていく上で、重要ではないかと私は考えています。 そこで1年生を対象とした演習では、「観察 敢えて、何もないところを見る。」という課題を出しています。表現することを考えるのではなく、まず観察することから始めようという試みです。学生は現実の観察に努め、その体験が反映された作品を制作します。観察の対象は身近にある固体、液体、気体、その他エネルギーなどさまざま。絵画、平面、彫刻、立体、映像、インスタレーション、パフォーマンスなど方法は問いません。普段ていました。このままでは新しい表現を見つけられず、10年後も制作をしながら生きていられるとは思えない。そうした危機感から卒業後、自分に影響を及ぼす全てを捨てるべくドイツに留学し、合計7年間を過ごしました。 最初の1ヶ月は孤独でした。ドイツ語をろくに話せず、簡単な挨拶以外は言葉を発さないような日々が続きました。そこで対話の相手になったのが花です。毎日の帰り道に花を摘み、学生寮で生けては日本語で話しかけていました。自分以外の何者かに語りかける特別な時間。大切な存在となるにつれて、花瓶を新たに買い、枯れたら押し花にしていました。粘土がどこにあるかもわからなかったので彫刻にはしませんでしたが、やがて絵を描いては花の周りに飾るようになりました。 それがある日、まるで祭壇のように見えたのです。もしかしたら信仰もこうして発生しは興味を抱くことがないような身近な物質を改めて見つめて、知らなかったことに気づき、本質に迫ることを目指しています。 その課題ではまず「何かをつくろうという意識はいったん捨てるように」と学生に伝えます。表現したいものに意識を寄せすぎると、ほかのものに関心を持ちづらくなるでしょう。いたずらにイメージを膨らませず、連想や空想をしないようにすることも注意点です。まずはまっさらな状態で、「自分が見ているものは本当にこうなのだろうか?」と前提を疑うように観察し、新しい価値観や表現方法を見つけてほしいと思っています。 普段の制作で学生が陥りがちなのが、好きなことの表明で終わってしまうことです。例えば「犬が好きだから、犬を描きました」という学生がいたとします。ところが「犬のどこがどのように好きですか?」と聞いても、あまり語ってくれません。そういう絵はたいてい、制作者の価値観は何なのか、興味を持ったのはどこかを追求したとは言い難く、見たままの報告書のよう。本来、犬といっ2010年、VOCA展奨励賞受賞。2012年、ドレスデン造形芸術大学Meisterschülerstudium修了。イメージを粘土で成形し、石膏で型をとり、原型の粘土を取り出した空の雌型に透明樹脂を流し込み、凹凸が反転している立体作品を制作。イメージの「不在性」と「実在性」の曖昧さを「彫刻」という具体的存在として問う。ても個体としてはさまざまですし、人によって見ているポイントも異なります。自分の心がどう動いたのか、どんな部分に反応したのか。この課題では、あえて興味のないところを観察することで、自分の反応の本当のところに気づくことも期待しています。そうした気づきは、制作に迷ったとき、立ち返って判断を下す基準になります。世界観に囚われず観察をすることで、周囲の意見に振り回されず芯が明確になり、結果的に世界観も強固になり得るでしょう。 こういう授業をしていると、「何も技術が身につかない」と感じる人もいるかもしれません。しかし、技術があったからといって作家になれるわけではありません。新しい表現が生まれる前段階に、観察があるということ。無価値だと見過ごしている対象が実は価値を秘めていること。たくさんの物事にあふれた世の中だからこそ、自分で自分を問い直すようなニュートラルな視点と自力で判断する力を学生のみなさんには身につけてほしいと思います。たのではないかと思いました。孤独な状況に置かれ、花としか対話ができない中で、表現が生まれる瞬間に立ち合うことができました。外から持ってきたのではなく、私のなかから生まれた発見です。物質との対話は、知らず知らずのうちに自分自身を問い直す行為なのかもしれません。問いを生む授業表現を考える前に世界の観察を促し技術よりも、大切な視点を身につける現実の観察によって新しい表現を模索する髙柳恵里先生 油画教授
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