TAMABI NEWS 97号(多摩美の建築)|多摩美術大学
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■時代を変える美大建築の可能性多摩美で磨かれる個性が、建築の希望になる1976年、早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了(工学修士)。1981年、内藤廣建築設計事務所設立。2001年、東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学助教授に就任。翌年、同研究科社会基盤学教授。2010〜11年に東京大学副学長を務め、東京大学名誉教授に。2022年より公益社団法人日本デザイン振興会会長。2023年4月に多摩美術大学学長就任。大野が初めて手がけた橋「蓮根歩道橋」。美しい形状と利用者にやさしいデザインなどが同居していた(撮影:藤塚光政)聞かれ、彼女が「老人、妊婦」と答えると、どっと笑いが起きたというエピソードも残されています。A地点とB地点をいかに効率よくつなぐかしか考えられていなかった時代に、大野は公共デザインを社会実装することを志向したのです。この歩道橋を皮切りに、彼女は橋梁・構造工学の優れた業績に対して授与される土木学会田中賞を19回も受賞することになります。 極めて異例だった蓮根歩道橋のデザイン案は、当初は全面的に却下されたといいます。しかし、大野の尊敬すべきところは粘り強さにもあり、何度も会議に足を運び、膨大な量の資料を用意し、協議を重ねることで実現に漕ぎ着けたのです。このようなエピソードはいくつもあり、1986年竣工のかつしかハープ橋(東京都■飾区)では、近隣住民2,000名もの署名を集めました。航空法で赤白の縞模様と決められていたタワーの色を、周辺環境に調和したものであってほしいと考え、最終的に白色への変更を実現します。デザインの世界で作家性やコンテンポラリーアートがもてはやされていた20世紀後半に、これらのように匿名的な公共デザ 近年、画一的で無味乾燥な建築や土木構造物が増え、個人的には物足りなさを感じています。本来重要だったはずの芸術的な側面が抜け落ちているからです。 建築・都市・土木・環境はその時代の文化であり、次の世代に受け渡すメッセージであるべきです。しかし、残念なことに、教育の現場でも画一化が進んでいます。その結果、周りを見渡しても魅力を欠いた建物や土木構造物ばかりが目立つようになってきたのは悲しむべきことです。   建築分野に真に求められているのは、広く文化を吸収し、他者のことを深く理解し、それを現実に落とし込む叡智だと考えています。みなさんに大学で身につけてほしいのは、技術的な習得はもちろんですが、美大なのですから、何よりも文化を感じ取る感性と他者に対する共感力です。 その点、多摩美では、キャンパス内を少し歩けば、彫刻、絵画、グラフィックアート、プロダクト、工芸など、他の芸術分野やデザイン分野に注力する学生や教員と交流することができます。例えば、ガラスのことに詳しい、陶器についても知って建築を志す学生にとって多摩美の環境は“宝の山”「かつしかハープ橋」は、世界初の曲線斜張橋としても知られている(撮影:藤塚光政)インに使命感を燃やしていたのも、大野のかっこいいところではないでしょうか。橋梁デザインを支えたインテリアデザイン的な発想 蓮根歩道橋やかつしかハープ橋の発想を生んだ大野の柔軟な感性は、インテリアデザインによる部分も大きいように思います。本学では、今でいうプロダクトデザインと建築をひとつにしたような学科で学び、住宅家具や照明器具に興味を持って課題をこなしていたようです。卒業後には百貨店のインテリアデザイン室に勤務し、スイス留学から帰国後、友人とともにデザイン事務所を立ち上げます。土木分野に進出するまでは家具やインテリアに加えて、精神病院や老人病院などケアデザインにも携わっていました。大野が手がけたインテリアデザインは、モダンな雰囲気を感じさせつつシンプルなのが特徴です。当時からデザイナー家具のような方向性は志向せず、例えば日本の食卓事情に合わせたダイニングセットのように、生活者のニーズを追求したミニマルなものばかりでした。重要なのはあくまで生活であり、家いる、油画やプロダクトの素養がある、といった独自性がみなさんにあるとしたら、建築家としては大きなアドバンテージになるはずで、これは美大でしか得られない資質です。 私から見れば、建築を志す学生にとっては、まさに“宝の山”の上に住んでいるようなものです。みんなそれを知らずに過ごしているのは、実にもったいないことだと思います。1939年、岡山県生まれ。1963年、多摩美術大学デザイン科卒業後、松屋インテリアデザイン室に勤務。1966〜68年、スイスのオットー・グラウス建築設計事務所にて研修。1971年、エムアンドエムデザイン事務所設立。2016年に逝去。具に際立った個性はいらないと考えていたのでしょう。エキセントリックな装飾ではなく生活のリアリティに重きを置いた価値観は、後年の橋梁デザインにも通底しています。 大野を不世出の橋梁デザイナーたらしめたのは、こうした生活者に寄り添った、インテリアデザイン的な発想ではないでしょうか。身体に近いところから空間を想起し、その射程を巨大な構造物にまで広げられるスケール感覚は、彼女の特異な感性です。生活者の視点に立てたから歩道橋に誰もが休めるようベンチを置き、近隣住民の視点を持てたから橋のタワーを美しい色にすることを考えついたのでしょう。散策路が延びる桁下空間を豊かにし、自然環境との共生を実現した、2001年竣工の陣ヶ下高架橋(神奈川県)のような作品もあります。広い視座をもって、今日の価値観を先取りしていた大野がどのように本学で学んでいたのか、「ミリからキロまで」では在学中の資料も展示し、彼女のスケール感覚の一端に触れてもらいたいと思います。桁と橋脚を滑らかにつないだ構造が特徴の「陣ヶ下高架橋」19世紀末のアーツ・アンド・クラフツ運動は、近代化が進み工業製品が身の回りに溢れることに対する反発から生まれたものです。それが大きな共感を生み、建築と芸術の大きな流れを作りました。 今はDXとAIが身の回りを埋め尽くしつつあります。そんな時代に、建築とは何か、さらには人間とは何か、が再び問われています。私は、この時代の切り口は、身体感覚と物造りの精神だと思っています。多摩美には、新たな時代のアーツ・アンド・クラフツを生み出す道具立てが揃っています。 芸術分野やデザイン分野と建築の学びが融合すれば、他の大学では望めない美大からしか発信し得ない建築教育を生み出すことができると信じています。大学としても学部間の壁を取り払う施策をいくつか模索中です。 時代は大きく変わってゆきます。建築を目指す若者に伝えたいのは、新しい時代の新しい価値観を感じ取り、それに相応しい新しい建築のあり方を模索してほしい、ということです。その手がかりと材料が、皆さんのすぐ近くにある“宝の山”には蠢いています。03内藤 廣学長

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