TAMABI NEWS 99号(エンタメで輝く力)|多摩美術大学
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『ラビット・ホール』(写真)などの美術で、第31回読売演劇大賞の最優秀スタッフ賞を受賞06 私が多摩美に入学したのは、80年代の小劇場ブーム真っ只中の時代です。鴻上尚史さんや野田秀樹さんが活躍していたころで、多摩美も劇団活動が盛んでした。私は高校時代から数々の小劇場に足を運んでいたこともあり、入学後はすぐに劇団活動に参加。学内外の劇団で舞台美術を担うようになりました。 学生時代はとにかくお金がないので、各自持ち出しで大道具をつくるのも、ゴミや廃品をもらって再活用するのも当たり前。いかにお金を使わずに舞台美術を実現させるかについて知恵を出し合い、工夫を凝らしていました。偶然通りかかった工事現場で「足場の資材を貸してください」とお願いしたこともあります。今となっては考えられないかもしれませんが、おおらかな時代だったんでしょうね。私たちのことを面白がって協力してくれる人がたくさんいました。日中は資材集めや舞台づくりに没頭し、夜にはお酒を酌み交わしながら団員と演劇や作品コンセプトについて夜通し語り合いました。熱量の高いメンバーたちと一緒に舞台表現を突き詰めていく日々は、お金にならずとも楽しいものでした。そんな学生時代の経験が、現在の仕事の原点になりました。 とはいえ、舞台美術を生業にすることは決して容易ではありませんでした。大学卒業を前に舞台美術を仕事にする方法を模索し始めたものの、当時は舞台美術家の求人なんて全くない時代でした。そんななか、タイミングよく劇団四季の募集を見つけ、迷わず応募。無事に入団することができました。身銭を切って自分たちなりの表現を突き詰めていた学生時代から、劇団の一員としてお金をいただきながら舞台美術に携わる生活へ。そのシフトチェンジは、自分にとっての転換点になりました。というのも、劇団四季が公演を行うような大きな劇場ではより高度な技術的知識が求められます。例えば、舞台と観客を区分けするプロセニアム(額縁)のあるプロセニアムステージの場合は、そのシステムを考慮した舞台美術をデザインしなければなりません。そういった技術的なノウハウを現場で叩東京で公演中の劇団四季のミュージカル『ゴースト&レディ』。2025年、名古屋・大阪でも公演予定(撮影:上原タカシ)85年グラフィックデザイン卒業き込まれた経験が、小劇場から大劇場へのステップアップを後押ししてくれました。 劇団四季で3年間の修業を積んだ後、イギリスに留学することを決めました。世界的な舞台美術家であるマリア・ビョルンソンが手がけた『オペラ座の怪人』の模型と図面をこの目で見たことがきっかけです。当時は、外国の舞台作品を映像で見られる機会もなければ、舞台の図面や模型もデータ化されていないような時代でした。日本で得られない知見を習得するには現地へ行くしかないと、ロンドンにある芸術学校で1年ほど学びました。 留学先の学校では、舞台美術のデザインにおける新たな視点を獲得できました。そのひとつが、What you want、つまり自分がしたいことをまっすぐに伝えることです。日本では、個々の考えや主張よりも全体の調和が優多摩美で舞台表現を探求し劇団四季などで技術を習得宮本亞門演出作品のデザインによるトニー賞ノミネートなどを経て紫綬褒章を受章松井るみMATSUI Rumi舞台美術家

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