多摩美大入試ガイド 2019
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美術学部 芸術学科 小論文﹁問題2﹂小論文﹁問題2﹂ ﹁見る﹂は様々な場面で用いられる︒例えば目の前にある花びんや人︑ものの動静等に対してである︒これは単純な行為に過ぎないが︑周囲の状況やその際の感情によって大きな意味をなすことがあるのである︒ 生物は﹁見る﹂という行為により︑その歴史を積み重ねてきた︒人間として生きているとそれは視覚によって行われると考えてしまうが︑嗅覚︑味覚︑聴覚︑触覚によって物事を認識することも﹁見る﹂といえるのではないだろうか︒ イヌやモグラ︑アライグマが例として挙げられる︒イヌやモグラは視覚の代わりに嗅覚を︑アライグマは触覚を用いて﹁見る﹂ことで生きているのである︒ 人間以外の動物が生きる為に﹁見る﹂ならば︑我々は何を以って﹁見る﹂のだろうか︒﹁見る﹂をひらがなにすれば色々な﹁みる﹂がある︒こうすれば意味は更に広がることになる︒これこそが他の生物との大きな違いである︒サッカーや野球等の試合︑映画を﹁観る﹂︑テレビや人の顔を﹁見る﹂︑視力や経緯を﹁視る﹂と様々だ︒そして人間とは感情と理論をもつ生物である︒ その行為が喜怒哀楽を生み︑歴史を変え︑時に愛情を生み出す︒一人の人生を左右させることも可能である︒ ﹁見る﹂によって生み出されるものがあるならば︑見ないことによって生み出されるものもある︒ こうして文章を書く間にも︑私達は﹁見る﹂を行い︑各々の人生を突き進んでいくのである︒ 物事というのは﹁見る﹂︑動くという単純な動きの積み重ねである︒ 複雑な状況︑社会の動静はこれらが歯車のようになり時計のように動く︒ ﹁見る﹂という行為はその軸なのである︒ 人間が人生や社会というものを形成する素︑これこそがヒトにとっての﹁見る﹂なのである︒ 河原を歩いていると︑木々は静かに笑い︑鳥たちのおしゃべりが聞こえた︒ 私にとって︑■見る■ことは■聞き■︑そして■感じる■ことである︒ 毎日︑学校に向かう途中︑河原の横を通っている︒空気は澄み渡り︑草木はあおあおとしているこの道は︑私にとって心の休まる場所だ︒あたりまえのように通る道だからこそ︑私はこの道を大切にしたい︒この川の声や︑広がる豊かな自然の声を聞こうと思った︒ 目をつぶり︑深く息を吸う︒注意して初めて聞こえたのは色々な鳥の声だ︒低くクルクルと鳴く鳥︒短く︑遠くに響かせるように鳴く鳥︒そして︑たまに聞こえるこの川で一番高く優しく鳴く鳥︒姿が見えなくても︑確かにそこにいた︒ 目を開き︑探し回ったけれど見つからない︒確かにいるはずなのに︒すると︑その川によく鳥の写真を撮りに来ているおじさんが︑私に声をかけてくれた︒ ﹁もう一度目を閉じてよく聞いてごらん︒いろいろな話を聞くんだよ﹂ 私は目をつぶった︒そして息を吸う︒静かに︑静かに︑おじさんの血の流れる音が聞こえるようだ︒風がそっと私のほほをなでた︒川が小声で話している︒土も木も皆深くで繋がり︑話しあっているようだった︒そしてあの高い声︑低木の隙間から︑青く︑美しい鳥が姿を現した︒ ﹁カワセミだ﹂ 私は︑おじいさんからとても大切なことを教えてもらったと思った︒目で見ても見えないもの︑聞くだけではなく︑穏やかに心を開いて感じること︒私たちに必要なのは︑目で見て︑耳で見て︑肌で見ること︑そしてこころで見ること︒そうして初めて■見る■ということなのである︒ 私は文字を﹁見る﹂ことが好きだ︒私たちは生活する中で︑様々な文字を見ながら生きてきたし︑これからも文字を見ながら生きていく︒﹁見る﹂対象が数多く世の中にあるが︑文字を﹁見る﹂ということは︑生活の中に根づいているし︑むしろ文字こそ一番私たちが﹁見る﹂ものかもしれない︒ 手書きの文字︑印刷の文字︑太い・細い︑大きい・小さい︑様々な色︑形︑大きさの文字があるということは︑私達が認識して﹁見る﹂ことができるものが︑それだけたくさんの種類があるということだ︒そして︑私達は﹁見る﹂ことで楽しむことが出来るのだ︒ 様々な文字には︑人それぞれ特有の文字があって︑形や大きさを﹁見る﹂ことができるが︑文字からは書いた人の性格︑考え方︑書いたときの気持ちなども﹁見る﹂ことができる︒だから面白い︒ 例えばデザイン文字︒文字を様々な形や色︑大きさで表現できるデザインとしての文字は︑その人の特徴までをも﹁見る﹂ことができ︑赤く大きな︑そして大胆な文字からは︑熱い気持ちや少し雑な性格が見え︑薄いピンクの丸みを帯びた文字からは︑優しげな︑そして柔らかい性格が見えたりする︒几帳面な人は︑トメ・ハネがしっかりしているし︑せっかちな人は︑少しつながったような流れる文字を書いたりする︒ このように︑文字からは色や形・大きさだけでなく︑書いた人の性格や気持ち︑考え方など︑様々なものを﹁見る﹂ことができる︒また︑それ自体を認識するだけでなく︑抽象的なものや︑概念をも﹁見る﹂ということは︑目で感じているということであり︑﹁見る﹂ことは﹁感じる﹂ことと関わりが深いのではないかと思う︒私は文字を﹁見る﹂ことで様々な面白さを見出したが︑生き物やモノなど︑たくさんのものから目で見て﹁感じる﹂ことで︑﹁見る﹂ことを楽しみたいと思う︒芸術学088

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