﹁美﹂とは、我々人間が持つ感覚であり、人生においてなくてはならないものだと私は考える。日常生活の中で、あなたは何に対して﹁美﹂を感じるだろうか。シルエットにこだわっているワンピース、雑誌の表紙を飾るモデル、綺麗な夕焼け、家族愛を描いた映画のワンシーン。皆、様々なものに美しさを感じているのだろう。日々の中に、﹁美﹂は溢れている。では何故、我々はそれらを美しいと思うのだろうか。 ﹁美﹂は﹁恐怖﹂と紙一重ではないかと私は考える。美しいという感情は、﹁美﹂を有するものに対するプラスの感情だろう。しかし、﹁恐怖﹂とは、自らの恐れるもの、生命をおびやかすものに対するマイナスの感情である。人はたまに﹁美しすぎて怖い﹂という表現をする。ある一定の範囲を超えると、﹁美﹂は﹁恐怖﹂に変わるということではないだろうか。例えば自然の美しさ。雨が降ると、止んだ後に虹が見える。海は空の色を映し、青から橙、そして濃紺へと色を変えていく。しかし、時折牙をむき、雨が降り続き土砂崩れや河川の洪水を起こしたり、海も恐ろしい津波へと姿を変える。人智の及ばぬ美しさは、ときに恐ろしい一面を見せると、人間は昔から知っている。では何故、﹁美﹂はプラスの働きをする感情なのだろう。人間は﹁美﹂を求めるのだろう。それは、﹁美﹂が自分一人では補えず、しかし人生をよりよくするための大切な要素だと知っているからだ。先ほど述べた﹁恐怖﹂は、自らの生命を守るために本能的に感じるものだ。それと近い、﹁美しい﹂という感情も、本能が察知するものだと私は思う。しかし、美しいものを美しいと最初から認識しているのではない。人生の中で、様々なものに触れ、感動や寂しさ、喜びを味わうことで、それらを美しいと認識し、思い出せるようになるのだ。人生の中で﹁美﹂を学習し、五感に染み込ませる。そうして、人間は本能で﹁美﹂を感じ、求めるようになる。得ることで、自らが豊かになるものに﹁美﹂を思うのだ。自らの人生を豊かにするものが﹁美﹂であるなら、それらを作り出すことを美術というのだろう。美術というと絵画というイメージがあるが、冒頭で述べた通り、美しいと感じるものは一種類ではない。料理やスイーツを綺麗に盛りつけること、自分に似合う服をコーディネートすることも美術であると私は思っている。﹁美﹂は本能で感じるものであり、自らを豊かにするものであり、そして覚え、考え、作ることができるようになる。人間が生涯学び続け、生み続けられるものなのだ。人間は悲しい、寂しい、苦しいといった負の感情だけでは生きていけない。人生の中で身近に見つけられ、自らを支える﹁美﹂という要素を得ることで前向きになれるのだ。少しでも多く﹁美﹂に触れ、人生を豊かに楽しく生きたいものだと、私は日々考えるのである。 ﹁美﹂とは﹁バランス﹂により認識されるものである。私が通学で使用する電車には、いつも同じ時間・場所に腰かけている美しい男子高校生がいる。いわゆるイケメンという者だ。そんな彼を見つけると、つい目で追ってしまう。それは、私が彼に対して﹁美﹂を感じているからである。では、なぜ私は彼に﹁美﹂を感じるのであろうか。それは、﹁バランス﹂がとれているからであると思う。例えば、彼の顔に強く魅力を抱いている場合であれば、それは﹁顔のバランス﹂に﹁美﹂を感じているのだ。もちろん、顔以外の場合も存在する。それは性格・声、もしくは肉体美であるかもしれない。人それぞれである。だが、﹁美﹂に対して、個々に﹁理想﹂というものが存在していることは確かであろう。そこで一つの疑問が生まれる。﹁美﹂とは﹁バランス﹂ではなく、﹁理想﹂なのではないかという疑問だ。確かに、﹁美﹂に対して﹁理想﹂を抱くことで、美しいと感じることはあるだろう。しかし、そうではない。例えば、ピカソの絵を見たことがあるだろうか。一見、何を描いているか理解ができない。だが、なぜか美しいと思ってしまう。理由は、簡単だ。﹁バランス﹂が良いのだ。ピカソの絵画は、線や色彩で表現されているが、キャンバスの大画面に描かれる﹁バランス﹂が整っているから、その絵画に﹁美﹂が見出されると考える。もし、﹁美﹂というものが﹁理想﹂によって生まれるものであるとすると、それは成立しないだろう。ピカソの絵が、﹁理想﹂というのであれば、それは﹁バランス﹂が﹁理想﹂となっているからだ。日常生活においても、今、この瞬間に見た風景が美しいと感じることはないだろうか。それは、自分の視界というフレームにおさまっている、写実的絵画のようなものに対して﹁美﹂を感じているのだ。それは、信号機や電車などの障害物が置かれている配置や地形の構図などに影響されている。このように、私達は日常の全てを﹁バランス﹂によって﹁美﹂を感じているのにも関わらず、その事実に気づいているのだろうか。普段歩くだけの通学路も、﹁バランス﹂を意識しながら見ることでその道を一気に美しく感じる。つまり、日常がアートへと変化することで平凡な毎日に﹁美﹂という﹁潤い﹂がもたらされるのだ。二〇二〇年に我が国でオリンピックが開催される。その時、日本という国のどこに外国人の方々は﹁美﹂を感じるのだろうか。その疑問を今、私達は考えるべきだと思う。もう一度、自分の生活を﹁バランス﹂という観点から見つめ直し、日本らしい﹁美﹂を発信することで世間の﹁バランス﹂、治安などの良さを多くの人々へPRできるであろう。私は﹁バランス﹂という視点から日本を見て、﹁美﹂を感じる。まさに、誇れる母国である。推薦 美術学部芸術学科公募制推薦方式2019年度 芸術学科 推薦入試提出課題タイトル・洛中洛外図屏風展 空から京都をみてみよう・Multi Colors以上2点(順不同)提出された課題を芸術学科ホームページで公開しています。[芸術学科ホームページ]http://www2.tamabi.ac.jp/geigaku/admission/koubo/ 132
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