入試ガイド2020|多摩美術大学
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 ﹁笑い﹂とは何か。私は﹁笑い﹂とは複雑な感情を持つ人間が生きていくために重要な表現能力の一つだと考える。一般的に﹁笑い﹂とは嬉しいことや楽しいこと、面白いことがあった時に自然とこみ上げてくるポジティブなイメージである。しかし、﹁笑い﹂にはネガティブな種類のものがある。例えば誰かに対する皮肉としてのあざ笑いや、苦笑い、また何かやり切れないことがあった時にどうしようもなく笑ってしまうこともある。私は後者の﹁笑い﹂に人の本質を見る。この時、人は言葉に表現し切れない感情を放出し、浄化させるために笑うのだ。つまり、﹁笑い﹂とはただポジティブな感情の時のみに限らず、ネガティブな感情も含んだ人間の複雑な感情を一気に発散させる、生きていく力なのだ。笑うことは必ずしも良いことであるとは思わない。笑わなくても楽しいことは沢山あるからである。私は小学校のころの﹁明るく元気に生活しよう﹂という方針が嫌いだった。あいさつは元気に大きな声ですることを強要されたし、教室で一人で本を読んで静かにしていれば、先生に声をかけられた。外で元気に遊んでいる子たちに混じっておいで、というふうに。私に笑顔がないことを心配しているようだった。幼いころから、明るいこと、元気なこと、そして笑顔でいることが良いこ           いなくても楽しいことはある。私は一人で本を読んでいる間、確かに楽しいとであるという風潮があった。私はそうは思わない。というよりも、笑顔でと感じていた。大切なのは笑顔でいることではなく、その人自身が楽しくあることだ。芸術学 美術学部小論文「問題1」人間の持つ笑いという感情は実に不思議なものだ。他の生物も喜怒哀楽といった感情を持つが、それを相手に表現する表情は全て違う。しかし、人間は哀しいのに笑ったり、困っているのに笑うことができる。そもそも人間は他の動物より高度な知能を持っているので、感情が複雑になっているのだが、それでも人間は笑うのだ。状況にはよるが、人間の笑顔は他人に良い印象、安心などの感情を与える。つまり、人間が泣き笑いなどをするのは相手を安心させるために感情を押し殺していると言える。他の動物なら、誰かを思い、安心させるためにこのような複雑な感情は生まれないのだろう。笑いというのは人間が集団生活で身につけた、最も簡単な思いやりの形なのだろう。高校生になった今、私は﹁笑い﹂が幼い頃よりも複雑なものになってきていると感じる。昔は面白いと笑い、楽しいと笑い、嬉しいと笑った。しかし最近の笑いは一筋縄ではいかない。苦しくても笑うようになった、つらいことがあっても笑うようになった。おそらく多くの人がそうだろう。多くの人が笑いを喜びの表現としてではなく、﹁回避﹂の手段として使うようになったのではないか。心から笑っている人はいるだろうか。この場は笑って済ませよう、とか心の声が聞こえてくる。つらいときこそ笑え、とか歌詞が聞こえてくる。確かに笑うことで何かのドーパミンが出て楽になるなんてこともあるらしい。苦しいから笑ってこらえることも悪いとは言わない。でも私は苦しい顔で頑張って、その後に心から笑える方が良いと思う。芸術学科小論文「問題1」091

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