入試ガイド2020|多摩美術大学
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絵画という表現方法はなぜ現代でも生き残り続けているのか。二〇一九年現在、私たちの周りにはたくさんの感情を表現する手段が存在する。その中で最も古典的なものであるにも関わらず、現代でも使われている表現方法が絵画である。原始時代、しっかりとした言葉が使われる以前から壁を使って行なっていた表現方法が、今でも多くの人に使われている理由は何なのだろうか。今は絵画よりも人に伝わりやすい表現方法がたくさんある。言語、写真、映像などがその例である。特に映像は絵よりも鮮明な写真を連続的につなげることで動くように見せ、そこに言葉や音楽を加えることで表現する。人に伝える、表現するという点で言えば写真や映像の方が遥かに伝わりやすい。目で見た風景を長時間かけて模写するよりも、シャッターを指で押すだけの写真の方が絵画よりも遥かに効率的な上に正確に伝わる。このように考えると、絵画は今の世の中にはふさわしくない表現方法のように感じる。いや、そうではない。確かに写真や映像は絵画よりも便利な方法だ。しかし、その表現というのは状況を正確に人に伝えるという表現である。ある点の表現において絵画は圧倒的である。その強みがあるからこそ、絵画は今の世の中でも絶大な人気を誇る表現なのである。それは魂の表現である。その一点のみにおいて絵画は写真や映像よりも遥かに勝る。人は絵画を見るときただ目で見て感じとるので                はなく、作品を描いた人の気持ち、用いた道具、時間その全てを含めて見るのである。しかし写真や映像でも、技術が卓越すると同じように気持ちを伝えることはできる。絵画が魂の表現に特化している理由はもう一つある。それは写真や映像が本物のコピーで、絵画は本物という点である。絵画は本物のコピーではなくもう一つの本物となり得る。これが絵画が今でも人気な最大の秘密なのだ。私の家には、一枚の肖像画がある。父方の祖父のものだ。私がまだ小さかったころは、それが誰であるかも分からず、暗い色調で描かれたその絵が、ただただ怖くて仕方がなかったことを今でも覚えている。中学校に上がるころ、父から祖父は私が四才の誕生日を迎えるたった二日前に交通事故で亡くなったと聞いた。祖父との思い出など一つもない。祖父に関して思い出せることと言えば、淡く、やわらかく記憶にこびりついている彼から漂う甘い香りくらいだろうか。﹁おじいちゃんは、どんな人だった?﹂私は、思わず父にそう質問した。﹁少し待っててごらん。﹂父はそう言うと、滅多に入らない奥の部屋に行き、ガタゴトと物音を立てて何かを探しているようだった。十数分して戻ってきたのは、薄汚れた父と数枚の絵画。﹁おじいちゃんは、絵を描くのがとても好きだったんだ。﹂父が引っ張り出してきた数枚の絵画を眺めながら、私は父の話を聞いた。どうやら私の祖父は、とても広い知識を持っている博識な人だったようだ。絵を描くのが好きで、よく自宅の庭へ出て、咲いている花や青く光る空を描いていたという。いつでも祖母を自分のとなりに座らせて楽しそうに会話をしていた、とも聞いた。父から聞く話、そして祖父が描いた絵から伝わってきた祖父の面影は、今まで私があの一枚の肖像画から想像していたものと正反対だった。本当は温かくて優しくて、それと同時にどこかに強い軸のようなものを持った人だったのだと分かった時、怖くて、不気味とまで感じていたあの肖像画が、まるでそこに亡くなったはずの祖父がいるかのように光をまとったのである。かすかに覚えているあの甘い香りが、漂ってくるようだった。﹁お父さん、私おじいちゃんともっと話したかったな。﹂そう言った私に笑いかけた父の顔は祖父によく似ていた。私は美術作品を鑑賞することが趣味だ。とりわけ、﹁絵画﹂鑑賞が好きだ。私が見てきた作品の中で、一番衝撃を受けたのはカラヴァッジョ作の﹃ホロフェルネスの首を斬るユディト﹄だ。なぜこの作品に衝撃を受けたのかというと、それは言うまでもなく、そのグロテスク性である。もちろん、光と影の大胆なコントラスト、人物の優れた写実性、画面越しに伝わる緊迫感にも惹かれたが、衝撃を受けた、いや、私を魅了してやまなかったのは、やはり、鑑賞者側にもひしひしと伝わってくる、鋭利な剣とまだ温いであろう人間の肉が交差して生み出す、痛々しい光景だった。そして、その絵を見ているうちに、私も首に痛みを感じた。そう、私はこの作品が演出するパフォーマンスに共感したのだった。また、自身に痛みを覚えるだけではなく、なぜこの状況に興奮したのだろうと考えた。結果、﹁絵画﹂だったからだと気付いた。もしも、目の前で誰かが首を刃物で斬り落とされそうになっていたらどうだろうか。私も、多くの人も間違いなく逃げ出すだろう。目の前で誰かが殺されるなど、一生モノのトラウマだ。そのような残虐な光景が、目の前の出来事ではなく、﹁絵画﹂として表されているから、じっくりと鑑賞できたのだ。そして、私はこのとき、﹁絵画﹂は現実の世界では表現しにくいものを具現化できる手立ての一つだと知った。今、世界には数えきれないほどの﹁絵画﹂が現存する。その中には、腐敗した世の中を風刺する絵だったり、各々が信仰する宗教の絵だったり、写真が発明される以前の偉人の肖像画などがある。どれも言葉で説明できそうではあるが、海を越えて、多くの人に伝えるには無理があるだろう。そこで、﹁絵画﹂が必要とされる。﹁絵画﹂は、現実で再現不可能なもの、しにくいものを、﹁見る﹂という行為だけで、道具なしで、作品自身が持つ魅力を鑑賞者に与える一つの媒体であると私は考える。芸術学 美術学部小論文「問題2」芸術学科小論文「問題2」092

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