入試問題集2022|多摩美術大学
147/172

芸術には様々な種類が存在する。美術・音楽・舞踊などである。今回、私は美術においての芸術鑑賞について述べていこうと思う。芸術鑑賞は、私達の思考・考えを豊かにする行為だと考える。また、物の見方が広がると考える。つまり、一つの物事に対しての考え方やアプローチの幅が増えるということである。芸術鑑賞は、絵画や彫刻などの作品を見る行為というのが一般的である。しかし、作品を見る行為のみが芸術鑑賞ではないと考える。作品について本やインターネットで調べたり、作品の模写やタッチの研究をしたりすることも、芸術鑑賞の一つである。これらのような芸術鑑賞をすることによって、私達の思考・考えが豊かになるのだ。思考が豊かになることが芸術鑑賞の意義である。私の体験を二つ挙げて説明していこうと思う。マックス・エルンストによって制作された《石化した森》がある。私はこの作品を見た時、不思議な世界観だなと感じた。この作品は、黄色の円が画面の上に描かれており、その下に幾何学的模様の物体が描かれている。シュルレアリスムの技法で制作された作品である。彼は、森への恐怖と魅力を感じており、その感覚を描いたのだと言われている。この制作意図を知り、私は驚いた。意味を知ってから作品を見ると、先程、見ていた物とは別物のように見えたからである。芸術作品の見方は一つではないということが体験でき、私の思考が広がったような感覚を味わった。イラストレーションの授業で、鳥獣戯画を様々なタッチで描くという課題があった。その課題に対して、私は寺田克也や中村佑介などのイラストレーターや、歌川国芳やアルブレヒト・デューラーなどの画家のタッチを研究して描くことにした。その中で一番印象的だったのは、エドゥアール・ヴュイヤールのタッチの時であった。彼は平面的で装飾性のある絵画が特徴だった。彼のタッチに似せるために、多くの資料を読んだ。そして、似るように何度も絵を描いた。手を動かしていくことで、調べただけでは分からない学びをすることが出来た。また、その作業が終わった後に彼の作品を見ると、最初に見た時と印象が違って見えた。私は、彼の知識を得たり、実践したりすることで、彼の作品を深く学ぶことが出来た。これらの二つの体験から、芸術鑑賞は思考・考えを豊かにする行為と言える。鑑賞の方法は、二つの体験のように、見るのみでなくて構わない。調べることや実践することなど、自分に合った鑑賞法であることが大切だと考える。思考が豊かになることにより、様々な物の見方が可能になる。立場・場所・時代などの条件を変えた場合どうなるかというように、物事に対してのアプローチが増えるのだ。それは、自分の表現にも関連してくる。従って、芸術鑑賞には、私達の思考・考えを豊かにする意義があると考える。芸術は手作りのパッチワークで、芸術鑑賞はその布に包まれることである、と私は考える。時には暖い毛布として人の心をいやし、時にはマントのようにもなって人を奮い立たせる。芸術には人の感情を動かす特別な力があるのだ。その力を感じられる芸術鑑賞はとても有意義なことだ。こう聞くと、芸術は人の手では操れない、何か強大なもののように感じられる。かつての私もそうであった。だが、忘れてはならないことは、芸術のパッチワークは手作りのものであるということだ。パッチワークは様々な種類の布を縫い合わせることで完成する。芸術も、多分野での数々の有識者が互いに成果を持ち寄り繋ぎ合わせることで発展してきた。太古から営み続けてきたために、今や芸術のパッチワークは大きな布になっている。そして、芸術鑑賞はこの布があるおかげでできるものだ。これに気付いて本当の意味での芸術鑑賞の意義深さが感じられるのだと私は考える。私はミイラが好きだ。棺の装飾の古代エジプト神やヒエログリフはとても可愛くて優しい気持ちになる。死の象徴とも言えるミイラ本体を観ると、逆に自分の生をありありと感じ、生きる活力をもらえる。多くの影響をミイラは私に与えてくれる。ミイラ展は毎年のように開催されるため、私はこれに行くのが毎年の楽しみだった。だが、コロナウイルスの流行が始まった。百年に一度と言われる人類の危機の前で、芸術は一瞬で不要不急のものとされた。全国の美術館、劇場、映画館が閉館となり、ミイラ展も当然行われなかった。芸術は明らかに勢いを失い、立場の弱さを何度も実感した。同時に、なぜ今まで芸術は強かに在り続けたのか私は疑問に思った。答えはすぐに出た。それは「人」だ。例えば、私が毎年当たり前のように行くことができていたミイラ展も沢山の人が関わっている。まず、ミイラを発掘した人、それを修繕した人、科力の力で研究した人。人が文献を書いて、情報が世界に伝わり、人が展覧会を企画し、人がミイラを運んだ。そしてようやく、古代エジプトから遠く離れた時代と場所に生きる私がミイラを鑑賞できたのだ。ただ鑑賞対象となる作品たちがあれば良いわけではない。数え切れない人の仕事と努力の上で、芸術鑑賞は成り立つのだ。このことを踏まえて、先月、国立科学博物館で開催されたミイラ展に行った。数年ぶりに観るミイラの前で、私は大きな「人」の力を感じた。確かにミイラからいやされ、力をもらえ、芸術のパッチワークの存在を感じた。だが、それ以上にこの芸術鑑賞という行為が尊いものに思え、パッチワークの重さをはじめて感じられた。芸術鑑賞を通して、私たちは芸術の持つ特別な力を感じられる。作品を観るだけでも意義のあることだ。だが、鑑賞できるまでの様々な行程に思いをはせると、芸術鑑賞が更に有意義なものになるだろう。         145[教員コメント]問われている二ポイント(芸術鑑賞の意義、自分の体験)をしっかり押さえて、説得力のある論が展開できています。「見る」ことのみに「鑑賞」の範囲や方法を限定せず、「調査」や「模写」などまで含めて独自に鑑賞の意義について考えており、また美術史の知識もしっかりしていて、高く評価できます。[教員コメント]芸術の展開を太古から連綿と続く「パッチワーク」として捉え、芸術鑑賞とはそうしてできる「布」に「包まれること」であるとするところに、思考のスケールの大きさと独創性を感じます。ミイラについては、その「芸術」性がもう少し他人に伝わるように論じられていると、より良かったでしょう。芸術鑑賞にはどんな意義があるか。自分の体験をもとに、1200字以内で論じなさい。小論文

元のページ  ../index.html#147

このブックを見る