入試問題集2022|多摩美術大学
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二〇二〇年、東京国立博物館に長谷川等伯の「松林図屏風」を見に行った。ほぼこの作品を見るためだけに行ったといっても過言ではない。以後この作品について、あらゆる文章を読んだ。元々は屏風を想定していなかったのではないか。等伯の他作品や同時代の絵師と比較したときの異様性。もちろんシンプルにして究極とも思われる作品の圧倒感。情報として興味を持ったのは、等伯が私淑した中国の画僧、牧谿との関係だ。「煙寺晩鐘図」と「松林図屏風」は双子のようだった。牧谿は禅僧でもあるが、等伯は違う。しかし等伯の作品の方が「禅」を感じるのだ。これは日本で独自の進化をとげた禅の状況や、子をうしなった心境が反映されているのだろう。絵画を極めるということは、宗教を極めることと類似性があるのかもしれない。ポーラ美術館で読んだ二つの絵の説明書きが印象に残っている。二つの絵とは、黒田清輝とラファエル・コランが描いた裸婦の絵である。横の壁の説明書きには、コランが描いた絵と、後に黒田がそれを真似た絵だということが書かれていた。簡潔に言ってしまえば、書かれていたことと言えばそれだけである。しかしその説明によって、私は黒田の画家としての技量を見せつけられたのだ。二人の絵を比較すると、黒田が裸婦をいかに日本人として描き切ったかが分かる。肌や髪質の違いはもちろん、両手や髪を投げ出し、快活な性格を感じさせるコランの裸婦に対し、黒田の裸婦は恥じらうように手を体に置き、奥ゆかしさが感じられるようであった。国民性までをも伝える黒田の絵、そしてそれを短い文章で私たちに想起させる小さなヒントのような説明に私は魅かれた。  79[教員コメント]コランの絵とそれに倣って黒田が描いた絵、というわずかな文字情報をもとに、自身の目でその二作品を鑑賞し直し、優れた比較考察をなしています。それが可能となったのはその文字情報がくれたヒントのおかげであることも強く意識しており、イメージと言葉の有意義な関係を、とても印象深く論じています。[教員コメント]等伯の《松林図屏風》に心を打たれたこととともに、その作品についての多くの文献を読んで深い知識を得たことが、よく伝わってきます。そこから自分として、その作品に禅を感じ、また作者の心境の反映を見出すことで、絵画制作の追求が宗教的な精神性を帯びてくるケースについて、力強く語っています。問題1 | 最近読んだ美術に関する文章について、350字以内で論じなさい。小論文

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