125[教員コメント]通信(communication)というテーマに対して明瞭に表現されている。コンピューターのディスプレイのような頭部から、多数のケーブルが飛び出している様子は、日常的に多くの情報に触れる現在の状況でもあるし、一方でそれをハサミで切断しようとする表現からは、現在の状況への戸惑いも感じられる。色彩や立体感も豊かに表現されていると思う。[教員コメント]中央に配置されたロケットのような黄色いオブジェは、誰かの手から放たれるように表現されている。これは何か情報を載せるメディアなのだろうか。一方でそれは荒いドットで表現されているように、デジタル化され、本来の情報からは意味が欠落し、解像度が低下しているのかもしれない。そうしたコミュニケーションにおけるジレンマも感じさせる表現になっている。[教員コメント]ダイナミックに構成された紐状の物体は、おそらく何かの情報が伝わる様子で、この空間全体がそれを伝播するメディアなのだろうと思わせる。そこにある明度の高い領域は、空間に空いた裂け目のように見え、通信障害を起こしているのかもしれない。その裂け目の周囲にあるグリッチのような表現はそうしたコミュニケーションにおける不具合を感じさせる。[教員コメント]覆い隠された何かの被膜を手で剥がし、その背後にある透明な水面を手ですくいとるような構成になっている。この、被膜に隠された不可視の水の流れが通信(communication)ということなのだろうと読み取れる。一方で、それを監視する目が存在し、ときにそれはハサミによって情報を改変したりしてしまうのかもしれない。そうした複雑な構造をよく考察し、的確に表現している。[教員コメント]まさにいま指で触れようとしている、右上の青い領域は、普段我々が目にするスマートフォンやタブレットなどの触覚的なディスプレイなのだと思う。そこにさまざまなオブジェクトが吸い込まれたり、一方で向こうから飛び出してきているようにも見える。そうした双方向的なコミュニケーションと、そこに触れる触覚的なイメージの現在的な状況をうまく表現している。[教員コメント]大胆な色彩と明暗によって構成された強い表現だと思う。二つの手を繋ぐ植物の根のような構造はまさにリゾーム状のネットワークの構造を表現しているのだろう。それは私たちが普段ふれているインターネットの構造でもあるし、私たち自身の脳内の、シナプスによって複雑に接合されたネットワークを思い出させる。そうした複数のイメージを内包している作品だと思う。
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