入試問題集2024|多摩美術大学
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 「原風景」という言葉から、私は自身の故郷やその自然・街並みが織り成す情景をイメージする。人々は故郷に帰り、故郷の情景、つまり「原風景」を目にするとなつかしさやかつての自分自身を思い出すと共に、自身の成長や変化を感じることができる。このことから、我々の人生において「原風景」というのは自身を見つめ直すきっかけを与える、原点回帰させるものであると私は捉える。では、私にとっての美術の「原風景」、原点回帰させるものは何か、論じる。私が美術に興味を持ったきっかけは小学校三年生の時に、初めて美術館に行った際に見た、サルバドール・ダリの《ニュートンに捧ぐ》という作品である。この作品はブロンズの彫刻作品である。人間の身体の形をしているにもかかわらず、脳や指がなく、手には球体にひもをつけたものを持っていた。小学校三年生の私はまるでダリがニュートンを馬鹿にしているように見えた。中学校に入り、もう一度この作品を見る機会があった。私は作品のキャプションを読んで、ダリはニュートンを大変尊敬していたという事実を知り、衝撃を受けた。きっとダリは人間が通常持っているはずの脳や指を取り除いた人間像によって、ニュートンが他の人間とは異なる、高尚な存在であることを表現したのであろう、と私は解釈し直した。私は以上の小学校・中学校時代に同一の作品を鑑賞し、新たな解釈をした経験から、美術作品の鑑賞は作品を見る・何を表現しているのか考える・作者の背景知識を得るなど、多様な方面から作品の存在について考えるからこそ面白いのだ、と感じることができ、美術の道を歩もうと決意した。これが私の美術に関する「原風景」つまり原点である。この経験は高校三年生となった今の私にも影響を与え続けている。一つの企画展において二度以上は足を運んで作品を鑑賞し、思考をめぐらせている。また、私の身の回りでおこる戦争や環境問題などのニューストピックについて考える際にも、多くの情報を本やインターネットから集め、多方面からその課題について考えることに面白さを感じ、日常的に行うようになった。私は今でも度々、ダリの作品集から作品を見たり、実際に美術館に足を運び、《ニュートンに捧ぐ》と対面することで、「原風景」をながめ、かつての経験を思い出し、自身が多方面から対象を捉える力がついてきているな、という成長を感じられるようにしている。当時の経験、つまり原点回帰することのできる「原風景」を美術の領域に見出したからこそ、今の私がある。私はこれから先の人生においても、自らの経験の内にある「原風景」を忘れず、時にながめながら自身の知見や世界を広げていく人間でありたいとサルバドール・ダリと過去の自分に捧ぐのである。地中美術館で働いていた時の「風景」だ。2つの体験を通して、私は「美術で人と人はつながることができる」と知り、さらに美術を深めていきたいと思うきっかけとなった。2つの体験から、忘れられない「風景」と、「美術で人はつながることができる」という私の考えについて、論じていこうと思う。働かせていただいた。その頃は、今ほど美術に対する熱が無く、「芸術祭」というよりかは、中学生の頃から興味のある「地域おこし」に関わりたいという思いで働いていた。そんな私を「美術沼」にずぼりとハマらせた体験が2つある。1つは、私が働いていた島からお客様が帰る時に、みんな笑顔で船に乗っていたことだ。中には声をかけたことを覚えてくれていて、作品の感想や島の思い出を「ありがとう」という言葉と一緒に伝えてくれる人もいた。一日の終わりに、今日も働いていてよかったと思える瞬間だった。2つ目は、働いている時のある夫婦との出会いだ。その夫婦はとても作品に興味を持ってくれて、私の作品解説をする口も止まらなかった。気づけば「自分がなぜここで働いているのか」という話をしており、その夫婦とは今では文通をする仲にまでなった。直接的に「美術」がその夫婦と仲よくなったきっかけではないかもしれないが、その時たしかに、その夫婦と「つながれた」と確信したのだ。いた。昨年の芸術祭とは全く関係なく、「美術館の運営側から美術を見たい」と思い、メールを送ったことがきっかけだ。主な仕事は美術館内ではなく、チケット販売と外の案内をしていた。始めは「全く美術に関係がない」と思っていたが、全くそんなこともなかった。入り口では、来てくれた方々がとてもわくわくして、歩いてきてくれた。「この美術館の魅力はなんですか」、「ずっと来たいと思っていて、やっと来れた」という言葉に、私までわくわくした。帰る時にも「ありがとう」と感謝を伝えてくれたり、海外の人が英語で「すばらしかった。こんなに美しいものを初めてみた」とほめてくれたり、最初から最後までとても幸せだった。私だけの体験ではないけれど、ここでも「美術で人とつながれた」気がしたのだ。思った。美術作品は視覚的な表現だからこそ、鑑賞者によって感想が異なる。その感想を共有することで、美術を鑑賞するだけでは得られない唯一の体験が生まれるのだ。私が美術鑑賞を通して「人とつながれた」からこそ、私にとっての忘れられない「風景」となったのだ。「つながる」ことは単なるつながりではない。人がいれば美術はより面白くなるだろう。私には、忘れられない「風景」が2つある。瀬戸内国際芸術祭と、直島の昨年の夏休み、私は約1ヶ月間だけ、瀬戸内国際芸術祭のスタッフとして今年の夏休みの約1ヶ月間も、直島にある地中美術館で働かせていただこうした体験を通して、私は「美術で人と人はつながることができる」と          147[教員コメント]冒頭できちんと「原風景」とは何かを分かりやすく論じたうえで、美術に関する自分の原風景について語っていく文章展開が非常に優れています。自分にとっての美術の原風景がその後今に至るまで何度も自分に重要な作用を及ぼし、いかに自分が成長するきっかけとなっているかを、一貫した論理でしっかりと記述できています。[教員コメント]「美術」を通じて「人と人がつながる」という貴重な経験をし、そこから美術の世界に深く関心を持つようになったことが、生き生きと書かれています。高校生のうちから芸術祭のスタッフとして働くなど、将来の活躍が楽しみです。なお、問題文にある「原風景」という語句を一度は使うと、解答としてより良くなったと思います。美術に関するあなたの「原風景」を、1,200字以内で自由に論じなさい。小論文

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