この世に存在する全てのものに「色」がある。子供たちは、ものの名前を覚えるよりも先に色の名前を覚えていることが多く、赤い車を「赤いの」と呼んでいる子供を路上でよく見かける。「色」は人間にとって大切な存在である。海の青、太陽の赤、雲の白など多くの人間はこの世に存在する目に見えるものを色によって認識している。また、目に見えない感情なども、怒りに赤、悲しみに青と「色」を用いて表現することができる。そのため、人々は赤と言えば、太陽や怒りを表しているのではと考えるようになり、「色」の固定観念が生まれてしまった。DIC川村記念美術館のカラーフィールド展でラリー・プーンズの《雨のレース》を見たとき、自分も固定観念に縛られてしまっていたことに気付くことができた。この作品は、淡い黄色の下地に、キャンバスの上部から淡いピンクや黄色の絵の具を垂らしたものであり、アクセントとして赤や緑が使われており、キャンバス上部の垂らし始める位置を中央から左にかけて斜めに下げており、そのことによって生まれた左上の空間に淡いピンクや黄色の絵の具で斜めに線が引かれていた。この作品のタイトルを見たとき、雨とレースの関係性が分からなかった。しかし、実際に作品を鑑賞することで不思議と垂らした絵の具が小雨に、斜めに引かれた線が窓に打ちつける雨に、絵の具の重なり合う様子がレースに見えたのであった。雨に対して青や冷たいという印象をレースに対して白や軽いという印象を持っていたが、この作品を鑑賞をきっかけに、「色」に対して持っていた固定観念を改めることができた。このようなことから、人は小さい頃から「色」に触れてきたことで、固定観念に縛られてしまうこともあるが芸術に触れることで「色」に対する概念を改めることができると私は考える。色は我々に様々な印象を与える。たとえば、植物の色や空の色といった身近に存在する様々な色は、季節の始まりや終わりを告げる。人の感情でいうと、憂うつな感情は青や黒で表され、燃えるような情熱は赤やオレンジで表される。また音楽に関しては同じ演奏曲でも演奏者によって音色が異なり、与える印象も全く異なる場合がある。このように身近に存在する様々なものは色によって表現され、色によって与えられる印象も様々なのである。様々な展覧会に訪れ、芸術作品を鑑賞する中でまずはじめに目に入るのはその作品の色である。そしてはじめに目に入ってきた色の情報によってその作品が印象づけられる。中尊寺金色堂特別展に訪れたとき、中尊寺金色堂を忠実に再現したレプリカが展示されていた。そしてその作品を一目見て、まず印象に残ったのは全体に施された金色の装飾であった。本物の中尊寺金色堂より遥かに小さいサイズであるのにも関わらず、その鮮やかな金色の装飾を見ていると本物の中尊寺金色堂が目の前にあるかのような感覚に陥った。また山本芳翠の『月夜虎』という絵を見たとき、まずはじめに目に入ったのは暗い月夜のなかで金色に輝く虎の姿、特に鋭く光る目が印象的であった。その作品は縦六十センチ、横八十センチ程の大きさであったが、虎の目を見つめていると絵の中で金色に光る虎だけが大きく浮き出てくるかのように見えた。『月夜虎』で印象づけられたのは暗い色で描かれた月夜ではなく、金色に光る虎であった。また中尊寺金色堂の作品は全体が金色で装飾されていたために全体が大きく見えたが、『月夜虎』では金色に光る虎だけが大きく見えた。同じ色でも組み合わせ方によって見え方の印象が異なるということである。このように色は様々なものに印象を与えるだけでなく、そのものの見え方までも左右するのである。 82[教員コメント]色は人にとって身近なため、固定観念に囚われがちと述べた後、展覧会でみたカラーフィールド絵画と対峙したときの経験を語る、その描写がすばらしいように思います。色面で構成された作品が次第に小雨や窓にうちつける強い雨に見えてきて、色に対する先入観が消え去るまでを、見事に表現しています。[教員コメント]色の役割について二例を用いて論じています。一例目は中尊寺展で模型でさえ、あたかも目の前にあるかのように見えたそうです。二例目は山本芳翠の《月夜虎》で、虎の目の金色に見入っていると次第に虎が肥大化したそう。配色によって絵の印象が変わるばかりか、見え方まで変わるとの指摘がおもしろい。問題2 | 「色」について、800字以内で自由に論じなさい。小論文
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