トップ多摩美の陶教育、こう考えて実践(目次)> 1. 陶プログラムの30年[1-1]

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1. 陶プログラムの30年
 1-1. 最初は粘土細工、その連続から同時代のやきものを探る
■ 井 上

 まずは今回のシンポジウムに学外から参加していただいた方々、お暑いなか、ありがとうございました。
 今回こういうシンポジウムを開こうとした経緯を、まずちょっとお話させていただきます。もともと尹さんと僕が研究室で、多摩美の陶とか多摩美の陶芸って面白い、という声を聞くけど、こういうものだって話せるような、きっちりした形はどこにもないね、といった雑談をよくしていたんです。それで、茫洋としている多摩美の陶芸の教育方針や、いままで積み重ねられてきた内容などを改まった形でまとめてみようではないかということで、今回シンポジウムのかたちをとらせていただきました。全部で3回予定していまして、第1回目のきょうは、こちらの中村錦平先生に「多摩美の陶教育、こう考えて実践」という内容でまずお話をいただきます。
 ここでの他のメンバーを紹介しておきます、外部からの目ということで、冨田康子さん、東京国立近代美術館工芸館の客員研究員をされています。後半のシンポジウムの司会もお願いする手はずになっています。それから、尹熙倉さん。非常勤で学生の指導にあたっています。樋口健彦さんも、同じように非常勤講師です。それと僕、井上雅之の5名です。では、まずは最初に中村先生にお願いしたいと思います。

【多摩美の陶作品・1】
  ■ 中 村  みなさんこんにちは。
 さて、ここにお見せしているのは1975年、僕が多摩美の油画科のなかで常勤になったときのカリキュラムです。油画でやきもの、というちょっと常識的ではない組み合わせですけれども、そのころは、1年2年は油画をやって、そして挫折した人――挫折したとみずからいう学生は一人もいなくて、平面から立体へやってきたとのたまうんですけれども――が多かったですね。でも挫折者は教師にとって得がたい客という感じで、自信ある人より伸びます。僕も青年期にそうだっのが、教師としても強みと顧みます。
 1週間に1回ずつ、課題に従って粘土でつくって、1週間後に「何でこれつくった?」「じゃあ、こういう方法もあるんじゃない」とか、できるだけ学生に感想を述べさせたり考えをまとめさせたりということを心がけました。文章化することも、このときからずっと続けていることです。
 当時の課題を見ますと、例えば「既製の陶器を活用する」、あるいは「身の回りのものを模刻する」なんてあります。30年前、1970年ごろの日本のやきものには、壺、皿以外はなかった。そこであえて身のまわりのものをモチーフにしたり、そういうものに関心を持つことによって、壺、皿でも、京都発信のオブジェでもないもので、土でいろいろのものをつくり出すことが可能なんだということをそれぞれにつかんでもらいたいという思いを持っていました。
 型取りもやれば釉薬もやれば、土の表情をいろいろ探すということも少しずつではあるが継続させた。ま、ちょっとちょっとで1週間、1ヶ月、1年となるんですけれども、これによって、従来のやきものにはない何かを自力で見つけてもらいたいと考えました。それの結果をいまからスライドでお見せします。これはあくまでも2年間の油画のあとに2年間やきものをやっただけの仕事です。僕の経験から振り返りますと、このあとの5年ぐらいの間にぐんぐんと伸びるのが若者の特徴です。これですべてが終っているわけでなくて、プラス5年、持続する力があれば更に5年、世間に通用する新しい動きをできる人になり得ていったと振り返ります。
 
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