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2. 陶プログラムを取り巻く現状
 2-1. 必要な技術とは何なのか
■ 冨 田

 それでは後半は、これまでの井上先生たちのお話に対して、会場のほうから何かご質問なり問題提起なりをしていただけたら、と思います。とくに現役の学生さんたち、いかがでしょうか。

  ■ ダニエル

 はい、私は研究生のダニエル・ローゼンと申します。私から威張って話をする場じゃないと思いますけれど、カリキュラムについて一つ、あくまで個人的な考えなんですけれど・・・。

 先生がおっしゃった「技術を教えない」ということに、私自身、じつは疑問がありました。自分でいろいろやってみて、自分で発見したほうが身につくと、中村先生がおっしゃったかと思います。確かにいまの私にとって、そういう多摩美の環境は、すごくいいんですね。
 というのは、いままでの4、5年間、私はロクロを回したりして、いわゆる技術を身につけ腕を高めてきたので、ここで自由に何でもできて、先生たちが相談役として近くにいてくれることはありがたい。
 でも5年前の私が、ここに来ていきなり自由にやってくださいといわれたら多分、戸惑ってしまったと思います。だから、自由にやりなさいというのも、すごくいいと思いますし、技術を教えることがよくないとは、もちろんおっしゃっていないんですけれども、技術を通じてできることも、いろいろあると思います。

 技術を身につけることによって、発想が生まれることもあると思いますし。カリキュラムを変えてほしいということではないけど、器でも手びねりでも、技術を習ったからそれに縛られて表現できなくなるというのは、ちょっと語弊があるかなと思いました。

  ■ 冨 田

 ありがとうございます。では、多摩美での技術面での学習の仕方について、具体的なところをうかがってみたいと思います。

  ■ 井 上

 技術を教えていないわけじゃないです。考えることと技術、どちらが欠けても成り立たないものとして理解してほしいということなんですね。
 あまりいい例えではないかもしれませんが、自転車を目の前にして、まずは、あなたこれが何だか考えて、使い方を考えなさいよというのが多摩美のやり方なんです。ふつうは、まずは自転車の乗り方を教えましょうと。自分らしい乗り方を見つけるのは、そのあとですよ、というのが順当なやり方なんでしょうが、乗り方を教えられた時点で、じつは世界が狭くなっているだろうと僕たちは考えているんです。

 だから、つっけんどんに、まず目の前にあるものが何なのか考えてみてよ、というやり方をしているんです。自転車に乗りたいと思うと何らかの方法で皆、乗り方を考えますよね。そのやりとりが大事だと。技術を教えてもらっていないから乗れない、自分は誰かのよう乗ってみたい、じゃなくて、自分の乗り方をしてみたいというところが、教えられて乗った人と、教えられないまま自転車に向かった人との差だと思います。

  ■ 尹

 技術を軽視しているというフレーズは、わかりやすいんですけれども、決してそうではなく、必要な技術が何なのかということをまず考える。つまり、問題の立て方なんじゃないかなあ。

  ■ 冨 田

 では、他にどなたか、ご発言ありますか。

  ■ 天 野

 天野です。彫刻科だったんですけれども、陶芸科でずいぶんお世話になった、多摩美の卒業生です。彫刻を続けております。

 さきほど、いまの学生の作品写真を何枚か見て、ほんとうに、すごくうまくて、さまになっていてびっくりしました。中村先生が前回、学生のレベルが非常に高くなっているというようなことをお話になっていましたが、そのことを再確認しました。技術についていえば、もうじゅうぶんなんじゃないかと思いましたね。土の扱いというか、土に対する知識というか、そういうことも、もうこれ以上必要ないんじゃないか。うまくなりすぎて、常識ができあがりつつあるという部分のほうが、かえって問題になるんじゃないと思うくらいです。

  ■ 冨 田

 「じゅうぶん」というのは、何に対して「じゅうぶん」ということですか。

  ■ 天 野

 1年2年とカリキュラムをこなしていくうえで、あれぐらいできれOKだなあと思ったんです。ただ、それがどこから生まれてくるのかが問題だなと。ほんとうに自分のなかから出てきたのか、自分のものになっているのか、ということを危惧してしまいました。僕らのころの拙い作品を見ながら、ああ学生のレベルがあがったんだなあ、でも、それだけでいいのかなあと思った。そういうことです。

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