気になることは幾つかあります。まず、多摩美の学生さんたちにお伝えしたいことがあります。仕事柄、美術大学を視察したり、研究者の方々との出会いに恵まれるなど、横から教育現場を眺めてきた経験からの感想ですが、中村先生を中心とした多摩美の陶芸教育は、アートとしての「陶」の発信者を多数輩出し、「錦平教室」が大学教育としてこれだけ豊かな歩みを積み重ねてこられたこと自体、教育史的にも非常に希有な事だと思います。
大袈裟にいえば「錦平教室」なき80年代以後の日本の現代陶芸の様相は現在とは大きく異なっていたであろう・・・。そういう意味で皆さんは幸福な歴史に立ち会っていて、その登場人物の一人でもある。年を重ねた時にこの貴重な時間をいとおしく思い出すことであろうと思います。
では本題に入ります。第一に、テーマにある「工芸教育・・・」ですが、工芸教育ではなく「多摩美陶芸教育とその展望」のような感じであろうということ。第二番目、先程から取り上げられている技術の問題には二つの異なる文脈が一つの土俵で語られていると思えることです。ニュートラルに、自然に考えれば良いのでは・・・。
例えば、いまの若い人は情報処理能力が高い。天野先生がおっしゃったように、最近の学生さんは作品づくりが非常に上手で、短期間である程度の水準を提示できます。多摩美陶芸科30年の歴史の中で制作や研究の方法などのデータが蓄積され、多摩美スタイルを形成している。ノウハウ、遺伝子としての技術とでも言えるでしょうか。
もう一つ、スキルやテクニカルなトレーニングという面ですが、こちらはごくあたりまえに一つのファクターとして捉えれば良いと思います。確かにクロスもしますがボーダーはある。そう考えれば皆さんも整理しやすいし可能性も探りやすいんじゃないかと思います。
根幹にもどり気になる点は、今はまだ続いている「幸福な季節」の隣で何かが、巨大なクレバスあるいは断層の浮上が生じているという点です。
中村先生はこれまで陶芸教育、陶芸界、工芸界、美術界においてアンチテーゼを提唱し、多くの変革をもたらし、その功績は周知の事実です。先生がその一翼を大きく担った現代陶芸という分野の確立もしかり。先生が先週おっしゃったように、1980年代頃までは明らかに「在野」という世界・概念が成立していた。
多摩美の陶芸はかつて油絵科の中の陶芸コースといういわば二重の入れ子状態の環境下にあり、ある種の冷遇を余儀無くされる面もあった。今日、選択コースから学科へと発展。これまでの実績が評価され、また社会にその分野が定着したということでもある。つまりその時点でインサイドになってしまう。すっかり死語となった「在野」と名付けられた世界の消失は、奇妙なかたちでインサイドの中で生き続けてはいるが・・・、日本に限らず、いつのまにかすべてが混在化し、内部という名の全体(総体)を生成した。
拠って立つ場所が無くなってしまったという事にいま皆さんが混乱しているのだ思います。この困難な時代、様々な問題に立ち向かうことは大変だけど、一つずつ解明し、人間的なもの、文化的なものを捉えなおす作業が必要不可欠であろうと・・・。
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