初期の時代----技術・ヴィジョン・利用者たち 1839-1875
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ジャン・バティスト・サバティエ=ブロ
ルイ・ジャック・マンデ
・ダゲールの肖像
1998
London

1839年という年に、私たちの現実知覚に大きな変革をもたらすことになる二つの注目すべき技法がロンドンとパリでそれぞれ公表された。いずれもカメラ・オブスクラが結ぶつかの間の映像を永続的にとらえようとする挑戦から出されてきた回答である。二つの方式はどちらも、相当以前から認知されていた光学上ならびに化学上の原理を応用していたが、このこと以外にはごく表面的な一致点しかもたなかった。一方の技法は、金属板の上に複製不能な、唯一の、左右の反転したモノクローム画像を生み出すもので、発明者の一人ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにちなみダゲレオタイプと呼ばれた。もうひとつの方式では、やはりモノクロームで左右とともに明暗も反転した画像ネガ像を紙の上に形成し、これを化学処理を施した別の紙の面上に密着固定して太陽の光に晒していく。するとネガ像は反転され、正常な空間関係と明暗をそなえた画像ができあがる。

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アントワーヌ・クローデ
ウィリアム・ヘンリー・フォックス
・タルボットの削象

このやり方で得られたものはフォトジェニック・ドローインクと呼ばれ、やがてはカロタイプ、ないしは発明者のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットにちなんでタルボタイプと名づけられるようになった。
この章で後述するいくつかの理由により、タルボットの発明したネガ/ポジ法は、当初のうちダゲールによる金属上の一点眼りの画像ほど普及しなかった。だが写真術の内容が進化していくにあたって、そのすべての基礎となったのはタルボットの方式だった。1839年の発明公表の時点までに、西欧社会では産業化が進み、写真術への準備が整えられていた。カメラによる映像が出現し、存続していくことになったのは、それが手で描く図像では満たされない文化的・社会学的な要求に応じるものだったからである。写真は、現実をより正確に本物らしく再現したいという社会的・文化的な欲求、ルネサンス期に端を発する要求に対して究極的な回答を与えた。中世の人々の心をとらえていた精神的宇宙を理想化してみせる表象が、しだいに世俗化の進む社会ではもはや目的にかなうものでなくなった時、その地位に取って代わることになったのは、実在するものをもっと迫真的に描出する絵画やグラフィック・アートの作品だった。正確に、正しい比率で建物・地勢・人物などを描き、事物や人物像の空間的布置を心というよりは眼で眺められたものとして示していくために、15世紀の画家たちは遠近法に基づくドローイングの方法を模索し、同時にまた、ひとつの平面上に遠近の隔たりのある風景を投影してみせる光学装置カメラ・オブスクラ(写真技術小史PartIを参照)を考案した。そしていずれの手段も、19世紀に至るまで使用されつづけていた。 16世紀にあらわれてくる科学的探求の趨勢は、視覚芸術におけるリアリスティックな描写を刺激づけ、その支えともなった。さらに18世紀後半の啓蒙思想と産業革命の時代になると、中産階級の人々からの支持がそこに寄せられてくる。解剖学者、植物学者、生理学者らによる動植物の研究がすすみ、生物の見かけの形状と内部組織をめぐる一群の知識がもたらされ、画家たちは生物組織を確実に描き出す能力を高めた。熱、光、太陽スペクトルの諸相を物理学者たちが探求していくにつれ、画家たちはまた、天候状態や太陽光、月の光、大気の効果、そして色彩というもの自体の本質にまで、しだいに意識を深めていくことになった。こうした描写におけるナチュラリズムに向かう進化は、画家たちが風畳をどう扱ってきたか、ということのうちに明瞭に見てとることができる。