トップ多摩美の陶教育、こう考えて実践(目次)> 2. 時代というキーワード[2-1]
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2. 時代というキーワード
 2-1. アメリカ陶芸では20世紀文明と向かい合っていた
■ 冨 田

 それではディスカッションに移ります。前半、中村先生からお話いただいたなかには、実は2つのテーマが含まれていたように思うんですね。1つは教育に関すること。多摩美の中でのカリキュラムや、教育に関わるテーマです。それからもう1つ、特にお話の後半部分では、陶造形の可能性、あるいは、やきものそのものの将来に向けての可能性ということが強調されました。

 この2つは、多摩美の陶教育においては、「何を基礎と考えるのか」という先ほどの問題を介して連動しているのだと理解いたしましたけれども、きょうは、シンポジウムのタイトルに工芸教育と銘打ってある関係上、陶造形の可能性という問題には深入りせず、できるだけ教育の問題に絞って進めていきたいと考えています。

 ここでは、中村先生以外の方々それぞれ、中村先生の同僚であり、かつ元教え子であるという立場にいらっしゃるわけですけれども、元教え子の立場として、先程の中村先生のお話について、いかがでしょうか?

【多摩美の陶作品・7】
  ■ 尹

 今朝、中村先生から発表のレジメをいただいて目を通したとき、この中にでてくるテーマだけで、シンポジウムが3週続けられる広がりがあると思いました。例えば陶造形のこれからの可能性、あるいは、体勢とか反体勢とかいうこと、さらに70年代の話とか、それだけを突っ込んでもかなりおもしろいテーマです。ですがここでは気になったキーワードについて、1つだけうかがいたいと思います。

 それは「何を基礎と考えるか」ということのなかでいわれていた「時代」というキーワードです。あるいは、「時代」をどう読むか、というときの「時代」。1975年当時のカリキュラムをしげしげ見ても、時代にまつわるようなテーマはないし、実はいまのカリキュラムを見ても、時代を直接反映したような課題は見当たりません。 とはいえ、30年の間、時代を意識しながらやきものを考えていく、それを学生との会話の中に織り込んでいくということについて、先生はいつごろから意識し始めたのか? やきものと時代という、縦糸と横糸みたいなことをいつごろから意識するようになったのでしょうか。

 というのは、やきものを語る時には、いつも作る側の論理が先行していて、例えば○○の技法を使ってとか、あるいは○○焼きの流れがどうしたとかを問題としがちですが、そのような縦軸にたいして、つくり手がなぜそのようなことをその時代にしたのかという横糸はあまり語られません。「時代」というつくり手の意志とはまた別な力の軸、それを織り込みながらやきものを考えていくということで、なかなか見られない考え方だと思うんですが。

  ■ 中 村

 時代をどう読むか、ということが、カリキュラムとどうつながるのか、もしくはつながりが見えないけど、という話だったら、たしかにそれは「?」ですね。でも、学生とは毎週話し合うわけですから、当然僕の感想や批評性にはそれは否定しがたく出てくる。

 具体的にいうと、つまらん壺、皿や前時代的の魅力のないものを無頓着になんかやったら、「いまの時代とどんな関係がある」と、批判してかかるから、学生は、時代ってものを考えねばならないんだな、となってくる。それから、時代を意識し出すのが、いつごろからかという質問ですけど、具体的には、70年初めアメリカから帰ってきた直後そういう類の陶教育の必要を感じたから。

 アメリカに行く前の僕は、人間国宝達の美意識と大差なくて、400年前の桃山・江戸の美意識をいまの日本らしさにも転用できる、それが日本らしさの核になるという認識のもとで、やきものをいじくっていた青年でしたね。
 ところがアメリカに行ってみたら、アメリカのやきものというのは、ヒッピーとベトナムと、とにかく何かそういう20世紀の彼らがつくり上げた世界に向かって、その文明と、その長い歴史を背負っている土とを向かい合わすとどうなるか、ということでしたから、そこで僕はカルチャーショックを受けまして、ああ、僕はタイムマシーンに乗って400年くだらねばならないと自覚したんです。結果はそう簡単ではなくて、スランプになってしまったんですけれども、いずれにしてもそのときから、文明の構造とのずれをそのままその国らしさと考えることの時代錯誤というのを考えました。

 そういう意識を持った日本のつくり手というのはほとんど皆無だったから、そういう場所を大学教育のなかに置くことができれば、未来を拓けると思った。だから、多摩美の陶コースがスタートしたときからその視点は持っています。

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