いまでも99%理解されてない。それでよいよ。教師の魂胆を理解しなくたって、つくるものがいまの時代を突いていれば、それで万々歳。
工芸学科になってから、茶碗屋の娘やら倅やらが入ってくるようになって、これは問題だぞと自覚していますけど。そのほかの人は、やきものを知らないで入ってくる。でもその若者たちは間違いなく、いまの時代を生き抜いていく感性ってのを身に着けている。例外的に茶碗屋の息子や娘たちが、これは売れるとかいう気持ちを持っていて、時代の感性を掘りおこすより、伝統的を無批判に受け入れてものをつくるというようなことになりやすいけれど。
若者はもう、僕なんかより数等倍、いまの時代を呼吸していまの時代を感じている。そういう人になら、土の可能性を提示し自分たちが発見することにいざなえば、いろんなタイプの時代との葛藤をその人が自らやりだす。極端ないい方をすればカリキュラムがどう変わっても大差ないんじゃないかな。若者の時代の感性を身につけたものに、土の面白さを1つ、2つと増やしていけば、その人はその人なりのものを出してくるであろう、と。事実出してきていますよ、卒業制作を見れば如実に見てとれます。僕はそれを確かめながら教師をつづけてきました。
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