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3. 技術の意味、素材の意味
 3-1. 表現も技術も自分で見つけることで自力がつく
■ 冨 田

 ちょっとうかがいたいんですが、まあ、どうやら多摩美の陶カリキュラムでは、時代を読んだ作品をつくるとよい成績がもらえるらしいというようなことは、うすうす察しがついたんですけれども、しかし、心がけの問題としてではなく、時代への意識を造形面に具体的に反映させていくということは、また別の問題で、それは気持ちだけでは実現しないことのように思うんです。そのあたり、先生方はどのように指導されているんでしょうか。

【多摩美の陶作品・9】
  ■ 中 村

 指導しないんですよ。仕組んで、待つ。あるいは、仕掛けて、引き出してくるのを狙っています

  ■ 井 上

 でも中村先生は、わりと丁寧にやってらっしゃって。僕のほうは、先生から高度な放任教育を受けて育ったものですから、あるところ放任主義が先鋭化してしまった部分があって、学生に何もいわなくても始めてもらおうというくらいの気持ちなんです。
 つくり方はいわないし、最初の課題でこうやってつくりなさいともいわない。そうすると、やきもののことを知らないから、最初は無垢の塊でつくってしまう。塊だって、本当は焼けないわけではないし、やきものにならないわけではない。なぜ塊じゃだめなのかというところから始めたい。そのぐらいまで戻って始めようという考えはありますね。
 こうすれば、こういうかたちになって、きちっとできますよということは、ほとんどやらない。それも自分で見つけなさいということですね。

  ■ 中 村

 なかをガランドウにすべきものなんだよと、こういってしまうと、紐づくりでやるか、タタラでやるか何かでやって、その無謀な塊をつくらないわけですけれども、でも何かをつくりたいというときに、目の前に粘土があれば、紐やタタラよりは無垢でつくるほうが、はるかに素直な素材のこなし方に思える。

 そのうえ、どこかに亀裂が入るとか爆発するとか、いろんな問題――それは、壺、皿の技法からいえば失敗ですけど、アートとして土と向かい合うときには、こういうふうにすれば割れて、この割れ方は、何かのときに活用できるぞと見れば、その人の表現言語が確実に、自分の身についたということです。

 それを皆一般にははしょって、じつはこうやるんですよとやってしまうと、その過程で見つけたであろう独自の表現言語、土による表現の可能性を気づかないまま終る。
 手工業の時代の器をつくるということからいえば、もう、とんでもない遊び、無駄をさせているんですけど、いま、べつに土を扱うから器をつくらねばならないわけでもありませんから、土が好き、やきものが好きという人に、何をつくるとか、表現するとかいうことを誘いかけて、そのうえ何か、その人が面白いものに気がついてさえくれれば、それをきっかけとして、指導されたものではなく、自分が発見したものでそれぞれが展開しだす。そして未認知なものにチャレンジし、次の時代を拓いていく。井上、尹両君だってそうじゃないですか。

  ■ 尹

 学生がウキウキしながらつくっているのを見ているのは、こちらもハッピーなんですけれども、とはいえ、激しく健康を害するガスが出たりとか、窯が一発で傷むとかいうことがない程度には、ブレーキをかけるんです。モチベーションを疎外しないように、でも設備は壊さないように、と、そのへんの狭間で一番苦しんでるのは助手さんで、駆けずり回ることになるんですけれども。

  ■ 井 上

 もう1つ難しいと思うのは、技術的なことを順序だてて体系的に教えていかないとすると、ものの成り立ちとか道理みたいなものを、理解してもらいにくい面があるのは確かなんですね。難しい化学のことを理解しろということではないんですけれども、何ごとにもいろんな理由があるわけで・・・。

 なぜそれができないかというところまで立ち戻ってくれれば、本当は、わかってもらえると思うんです。だから、発見したことをうまくつなげていかれる人は、いろんな展開ができるんですけれども、そのつなぎ方を、教えるのではなく、発見させなければならない。極端な話、窯なんかもだんだん簡便になってきて、なぜ焼けてるかなんてわからなくて、電子レンジと変わらないわけですね。そういうことからも、体系を押しつけない教え方というのは、難しいですね。

  ■ 冨 田

樋口さんは、いかがですか?

  ■ 樋 口

 僕はまだ、非常勤という立場になって1年目で、右も左も分からないような状態で・・・。きょう、30年前の中村先生のカリキュラムを初めて見せていただいたんですけれども、改めて考えさせられる部分がすごくあります。あの、言葉が的確かどうかわかりませんけれども、アンチを掲げた教育方針というのを30年間の時空はどうやってこえるのかなぁというか・・・。

 僕の場合、学生からダイレクトに戸惑いを投げられることが多くて、30年間をどうこえるか、また、情報化社会というふうに例えられていますけど、これだけ錯綜する時代のなかで、素材をキーワードに何をしていくか、やはり難しい問題だと思っています。

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