そんなにね、僕の方に引っ張っていこうなんて頑固なずうずうしい気持ちはゼロです。斉藤君は在学中、そういう風に受けとめていたのですか。文句もいわないで。
かつて、陶が油画科にあったときは、工芸ではないという大前提があったから、油画の学生に、立体とか土も面白いと思わせたいというのが、まずありましたね。
ただ放置しておくと、デパートの美術工芸品売り場のものを無造作につくり出すから、それだけはさせまいとして、こういうカリキュラムになりました。
ところが、こんど98年から工芸学科としてスタートしたでしょう。そのとき新1年生に突き上げられたんですよ。こういう課題ばっかりで、いつ器をつくらせてくれるの、ということでした。工芸といったら器でしょ、と。
でも、学生が工芸といっているものは、せいぜいデパートの美術工芸品売り場かどこか、あるいは引き出物とか、自分の家の台所にある器を工芸と思っている程度だから、それじゃぁ困ると。美術大学まできて、そんなもの、ここは町のやきもの教室じゃない。
それで1年、2年と、とにかく揉みほぐす教育をする。3年になったら好きなだけ器をつくっていいというふうにしたんですよ。そしたらね、1、2年で揉みほぐして、いってみれば、やきものや土にはいろんな可能性があるんだということを――当然、大学に入ってくる生のままの若者は、そんなこと知っているわけがない――こちらはプロですし、よくその世界の状況を知ったうえで説くわけでしょ。
そうすると、さぁ皆さん器やっていいですよと、こういっても、もう器はつくりたくない、つくりたい人だけの選択にしてくれという学生が大半で、あくまでも器をやるといったのは、20数人のうちで2人ぐらいだったかな。つまり、器とは別の面白さを感じ取ったり、もっとかっこよくいえば、時代との関係でこういう造形ができると知った若者は、器どころか、もっとほかに面白いものがあるということに目覚めたんだと、僕は見ましたね。その後、器は1年でやらせない、3年でということで、ここ何年かやっています。
入学時不満分子が必ずいるんですけれども、3年になると黙るんですよ。いろんな可能性――それこそ基礎――を知ると、器でなきゃならんという根拠は、じつに曖昧なもので、手工業の時代から工業時代、高度工業化っていう流れからいっても、若者は器にさほど執着がなくて当たり前なんじゃないかという思いをしています。
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