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2. 今後の課題
 2-2. 情報化時代の発想
■ 中 村

 入学する前には、ここでつくっているようなものはさほど認知されていないわけですから、見る機会はない。それで課題に従って、ああこういう発想もできるんだという嬉しさ、楽しさ、つくる面白さでつくるんですね。
 確かにそこには時代がもつ共感があるだろうから、つくっている本人も、時代錯誤をやっている意識もなく、楽しんでいける。

 ただ、これは全ての美術にいえることだと思いますけれど、最初はポツポツと、こんなものあってもいいんじゃないかしら、と手探りでやり出す。それがある程度、面白くなってくると、技も磨かれて完成度も高くなってくる。そしてあるところから成熟してくる。ところが成熟し出したところから、慣れてきて、そのあたりから下り坂が始まる。

 これは簡単にいうと、桃山時代、初代長次郎が、ポツポツとつくったお茶碗が、3、4代目ぐらいになると慣れてきて、高台の横、裏の小さな渦の形まで凝り出す。いまの10何代目かになると、どう壊して見せるか、に技巧を凝らす。アメリカのやきものでも、1960年代に僕が驚いたアメリカのやきものを、井上君ぐらいの世代は「何をそんなアメリカアメリカというんですか。僕らもうすでにやれますよ」と。

 それは明らかに、日本国のやきもの、デパートに売っている桃山の美意識でつくられたやきものに対して、多摩美の学生も400年の差を縮めて20世紀のものを難なくこなせるようになったことを意味すると思うんです。ただ、それが常識化すると、みずからの問題意識がだんだん希薄になっていって、工芸なんて技を磨けば何とかなる世界ですから、ますます技を磨く人が登場してきて、この時代、こういうものをつくり出したら面白いじゃないかという、その原点が希薄になっていく。そういえば、齋藤正人という03年院修了生の「齋藤家の上京物語」とかいう個展がありましたね。

【多摩美の陶作品・18】
  ■ 井 上

 あの表札の・・・。日本の苗字で数の多いもの上位何100とか。

  ■ 中 村

 あとは、いろいろな家のおじいさんの顔写真の油絵・・・。

  ■ 井 上

 昭和歌謡が流れていました。

  ■ 中 村

 そうそう。彼は多摩美の陶の卒業生で、大学院の講評のときに、われわれ4人からは酷評だった。情報化時代に登場してきたこの青年の視点を、僕ら4人はまともに評価できなくなってきているのではと思いました。
 井上先生から始まるような、土で大もの、ボルトで繋いで、というのはいま3代目ぐらいなんですが、そうすると3代目は、それをつくって壊すという展開をせざるを得ない。

 そうなることが常識化するということなんだけれども、一方で齋藤正人の、情報化時代に対して情報を仕掛けるという発想は、僕らのなかでは対応不可能になっている。でも、そういう発想の青年を何とか受け入れれば、新陳代謝は可能だなと、僕はわりあい気楽に思っていますけど。

  ■ 井 上

 かなり勇気がいりませんか。

  ■ 中 村

 ものすごくいる。でもね、以前はもっと――油画をやっていて脱落した人が陶にくる。その人たちに、例の課題を出す。芸大さんがやっている、ロクロで同じものを何10個という教育でもないし、武蔵美がやっているクラフトでもない。役にも立たないものを明けても暮れてもつくってもらうわけで、そりゃこんなことでいいのかしらと、人一倍思ってましたよ。バカな評論家は「あれは何や無茶苦茶や」といい続けて・・・。

 でも、なかにはそうでない人がチラチラッと出てくる。80年代、多摩美から新しい風が出てきたとか何とか。あれで自信も出てきて、「これは間違いではなかったんだ」と。だけど当時は、学生によってはこちらが対応不可能ということを何回も経験しました。最近ね、対応不可能がなくなったことに対して、僕は内心、複雑な思いをしています。

  ■ 井 上

こちらの蓄積もできてきた。

  ■ 中 村

それに、ああ、これはこのタイプ、といえるようになってきたんだわ。

  ■ 井 上

 ただ、こちらが新しいもの新しいものといっていると、タガが外れるようなこともあるんですね。そのとき、こちらが判断できないのか、本当に作品がよくないのか、つくった学生が何も考えていないのか、悶々とするときがありますね。
 なんでもありということになった時に、どこにその何かゆるぎないものを求めれば良いのかというのがそれは本当に戸惑いですね。情報だけでいいということになると、手を使わない人たちのつくるものも含まれてくる可能性もあるし、そのへんの見極めがすごく難しい。

  ■ 尹

 例えば、かなり完成度の高い作品であっても、それが誰にでも、何かを伝えられると思うことじたいが、実はちょっと違うように思います。日本語のできる人に日本語で話してもすべては伝わらないわけですから、まして造形言語で何かを伝えようとすることは、そんな簡単なことではないはずです。

 その反面、何も喋らなくても、作品から思っていたことが思っていた以上に伝わってしまうという現実も知っているので、私たちはそれがやめられなくなってしまっているんですけども・・・。
 つまり、講評のときに僕なんかがうまくキャッチできなかったとしても、それはある程度仕方ない。それでも伝えられる力をつくり手が何とかしていく、その表現者の意欲に応じて、しゃべるなり、ペーパーを配るなり、歌うなり踊るなり、あらゆる手段を使って工夫するということだと思います。
 こちらの責任も考えなければいけないけれども、何でもすくい取るのは無理かもしれない、ずるいかもしれませんが、そんなふうに思います。

  ■ 冨 田

 では、そろそろ話題を変えて、「時代をどう読むか」という問題を軸に話をうかがいたいんですが、中村先生が強調されているように、現代が情報化社会、ポスト工業化社会であるとする。そうすると、何かをつくるということの社会に対する貢献度は、とうぜん低下してくるわけですよね。多摩美では、そこでなおも陶の造形表現の可能性を考えなさいよ、という自己否定的な出発点を設定しているわけですけれど、その場合、陶に対して夢をもって入学してきた若い学生さんたちがどんなふうに対応しているのか、とても興味があります。

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