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2. 今後の課題
 2-3. やきものを選ぶ理由
■ 井 上

 情報化社会のなかで、欠落している部分というのは、もう皆さん気がついていると思います。どんなものにリアリティを感じるかというと、例えば画像に関していうと、僕なんか完全に現実との境目がない感覚を自覚することがあります。行ったこともない場所に行ったつもりになっていて、それはじつは映像で見ただけのものだった――そういう傾向がどんどん一般化しているのは確かです。

 ただそれでも、目の前にある素材を使って何かを形づくること、その必要性がなくなるはずはない。確かに、すごく時代遅れだとか、陶は重苦しく感じるとかいう意見を吐露する学生もいますし、実際そうだろうなと思います。でも、人がものを扱って何かをつくるということが、けっして廃れないと、可能性はあるだろうと。

 ものをつくる、というと、何かを加工して形にするだけのことだと思われがちなんですが、そうではないですね。手で動かしているあいだに何かを感じて、それが頭を刺激して思考を生んで、それが何かきちんとしたつながりをもってくると、情報の側だけから考えた手の動かし方とは違うものが見えてくるだろうと思うんです。手を動かして、それに触発された思考の部分が形になってくると、いま世の中が主流でないと思っている部分が、必ず見直されるだろうと感じています。

  ■ 冨 田

 つまり情報化社会においても、手でものをさわって何かをつくっていくことの意味は、薄まらないということでしょうか。その価値は変わらない、と。意外に楽観的というか、普遍化して考えていらっしゃるんですね。

  ■ 井 上

 2年生のレポートを集計すると、多くの学生が、やきものでやる理由が見つけられないといいますね。1年生でも、やきものとはどういうものか考えましょうという課題をやっていくと、そういうことをいいだす人がいる。陶でつくる理由がつかめない。こちらもそれは提示していないですからね。だいぶ悩んでいるなという実感はありますが。

  ■ 樋 口

 何でもあり、というのはやっぱりキツイですね。だた、つぎの展開が生まれてくるときには、何らかの圧力とゴタゴタ、ガタガタが必要なんだと思います。

  ■ 中 村

 いくら何でもありといったところで、美術大学ではやっぱり体を動かし、手を動かしているんですよ。映像の分野に移るにしても、やっぱり体を動かしている。そこでは必ず、4年かけて、経験を通して手を通して、ものを考える。
 それを身につけさえすれば、今後の人生を渡っていくうえで、そういうこと体験していない人と比較すると強みになるような、考えの核というものができあがっていく。僕は、それでじゅうぶん大学の役割を果たしているように思うんですけどね。

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