森と申します。美術を建築空間にコーディネートすることを仕事の一つにしております。工芸の世界だけではなく、彫刻でも建築でも、やはり同じような問題を耳にすることが多くあります。例えば彫刻家の方々は、「彫刻というジャンルに、はたして未来はあるのか」ということを、真剣に考えておられるようですし、また建築の世界でいえば、日本の経済が明らかに停滞してきて、新たな建物を設計する立場からすれば、少なくとも国内の見通しは暗い。建築を学ぶ学生さんたちも、みずからの将来について悩むところではないでしょうか。
そこで、大学教育の試みとして一つとして、私がいま面白いと思っていることをお話したいと思います。関西には、京都工芸繊維大学という、建築の設計を実践的に教えることで知られる大学があります。私自身は、まったくの学外者ですが、じつは私の配偶者がそこで教員をしており、その大学がどう変わろうとしているかを身近に見聞きする機会があるものですから、そのことについて、私なりに少しだけお伝えできればと思います。
京都工芸繊維大学(以下、工繊大)は京都高等工芸が前身の歴史ある大学ですが、この2004年度に、日本で数少ない設計専門の大学院を設立しました。通常、大学院は論文をもって修了しますが、その大学院では、設計作品で修士号をとることができるそうです。これまでの日本の大学は、特に高度経済成長期において、社会からの要請にこたえるかたちで、設計者をとにかく数多く輩出してきたといってよいと思います。
しかし、近年は、先ほども申し上げたように、建築の需要が大きく落ち込み、社会もかつてほど設計者の数を求めてはいないといえます。このようななかで、工繊大が設立した設計専門の大学院は、その数を絞り込み、設計者としてより訓練されたものを社会に輩出しようとする試みなのではないかと私は捉えています。
また、工繊大では、設計者とともに、建築の受け手を育てることも試みているようです。例えば、実際に家を建てようとしている人を学内に呼び、その人をクライアントにして、学生が設計のプレゼンテーションをする。そういった具体的で現実に即したやりとりを経験することで、学生は、設計という仕事が、個人の表現にとどまらず、設計者とクライアントとの厳しいコミュニケーションの上に成り立っていることを、多少なりとも実感することができます。そして、仮にその学生が将来、設計者にならなくとも、クライアントなどの建築の受け手の立場に立ったとき、よりよい建物を建てることに貢献できるのではないかということです。
最近では、さまざまなメディアで建築が取りあげられていますが、その現象だけを見ても、建築を単に使うものとしてだけではなく、鑑賞するものとして、あるいはその総体を文化として捉えることが、広く行なわれつつあると思います。それに先立つかたちで、大学もまた、設計者や歴史家のみならず、鑑賞者、住み手、役所の発注を含むクライアント、プロデューサー、キュレーター、編集者など、建築のさまざまな受け手を育てることを、教育の一環として視野に入れつつあるといえるのではないでしょうか。
最後に、建築の世界では、新築が難しいという社会事情もあって、いまある建物をどう活用するか、保存や復元でなく、いかによりよく再生させるかという知識と技術が必要になってきているようです。それを踏まえて大学でも、建築の歴史を設計の両方の要素を持った学生を育てようとしていると聞きます。
そこでおうかがいしたいのは、今後、多摩美術大学の陶プログラムが、社会の変化や問題を見据えながら、さらに新たな展開をしていくうえで、作家でとともに、陶の世界を支えるさまざまな立場の人材をどのように育てていかれるのか、ということです。
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