1金沢美術工芸大学
1-1金沢美術工芸大学
- 山本
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金沢美大は戦後すぐの1946年に開校し、学校としては60年余の歴史があります。途中で工芸的な要素がなくなったりした時期もあったんですが、1965年頃から「工芸」という言葉がまた復活してきます。金沢という土地は、漆・金工・染色・陶磁など、工芸的な産業がすごく盛んで、それがなければ地元経済の活性化もないというところですから、金沢市の工芸界というものの存在がかなり大きい。そこにある美術大学ですので、「金沢美術工芸大学」というように、「工芸」が冠の中に言葉として入ってくる。これも大きいです。2010年度に独法化が決まっていますが、その辺も含めて「工芸学」という本学独自の論理を打ち立てたい、「工芸」というものを中心に据えた大学であることを謳っていきたい、との方針が学長にはあるようです。
僕自身は1983年に金沢美大の大学院を出ています。当時は結構美大らしい、教え方もかなりのんびりした状況でした。それが1997年に大きな改革があって、博士課程ができたことによっていろいろ変わった。
陶コースでは、2007年3月に原田実先生が定年退職され、久世建二先生が学長になられました。同年4月に私が入り、その年の秋から板橋廣美先生に来ていただいた。2008年6月に以前から一人残られていた米山央先生が退職されたので、現行では板橋先生と私の二人で授業を担当しています。原田、久世、米山体制が20年ぐらいずっと続いていたのがいきなり途絶えて、まったく新しいメンバーに変わってしまった状態なんです。ですので、今からつくっていく部分もかなり多いし、新しい体制になって、まだまだ足場を固めている状態です。
僕は女子美術大学で10年ぐらい教員をやってきましたが、私学は少子化の影響から学校運営がかなり厳しく、学生をたくさん採ろうとすれば、美術や造形に関する知識や技術をほとんど持たない学生も、受け入れざるを得ない状況が生まれています。金沢美大の場合は、公立で授業料が安いということもあるだろうし、定員も20名と少ない。今年の入試でいうと6〜7倍ぐらいの倍率で、入試の採点をしていてもレベルはかなり高く、良い状況でやれていると思います。
1-2各学年
- 山本
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1年生の時は授業で4コース、金工、漆木工、陶磁、染色というカテゴリーがありますが、実質的には鍛金、彫金、木工、漆、染、織、それから陶磁の7分野をぐるぐるまわります。ひとつの授業で、前期、後期、合計4週間ずつ。僕が学生の時は、1年生の基礎課程のあと、2年生後半の専門コース選択前に、素材を2つ程度にしぼって授業を受けていたんですが、今は1年の段階で全部をまわる。その他の授業として、デザイン発想、映像、コンピュータ・グラフィックス、色彩、写真、それから描出、デッサンですね。そういう基礎教育も、年間のカリキュラムの中に入っています。これらで、体験的な意味合いとともに、美術系分野での基礎的なことを身につけていきます。それから、1年から3年まで学部生は全員、前期に3週間、他の科目、学科の授業を受けます。共通造形センター期間と言って、例えば工芸の学生は工芸の授業は取れない。必ず彫刻に行くとか、洋画に行くとか、デザインに行くとか。そのような基礎科目を履修し、1年が終わった段階でコース選択をします。
2年生になると4コースの各工房へ平均5名程度の学生が入っていきます。たとえば陶磁だけで3名の教員数で、そこに5人の学生というのは、教える側と教わる側のバランスからいうと、教員側の密度がかなり濃くて、授業料との兼ね合いから考えると私学では成り立たないのかもしれませんが、恵まれた環境でやらせてもらっています。2年では専門コース以外の共通授業として「ベーシック・デザイン」、「複合素材演習」、「プレゼンテーション演習」があります。「複合素材演習」は、自分が日頃扱っている素材プラス別の素材を必ず使って、複合させるものづくりをしなさいという授業で、他のコースの先生のところへ行く。たとえば僕はいま漆の学生を見てるんです。何をやりたいか把握したうえで、1、2週間に1回ぐらい、ものの成形から焼成まで全部の面倒をみるというようなことをやっていますので、濃い内容のものができていると思います。
陶コースに入ってきた学生は、最初に板橋先生の「窯業機材学」を受けます。板橋先生は、ものすごく幅広く、いろんなことを試している人なので、それらについてのやり方を、こういう時はこのようにすればいいというように、一つ一つのワークショップで全部説明していくという授業をしています。技術的な情報はすべて入れてしまって、それらを実践させていく中から新たな発想が生まれるという考え方を基本に、まず、知識としての方法論を徹底的sに教え込むということで、この授業をだいたい3週間、初っ端にやる。その後、手捻り、轆轤、型起こし、石膏轆轤、鋳込み、絵付けなど、基礎的な技術については年間計画に全て盛り込みながらやっています。
- 井上
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板橋さんには、昨年金沢の専任教員になるまでの10年間、多摩美で授業を持っていただいていました。多摩美では、3年次に年間を通して毎週1回、板橋さんの卓越した技を吸収してもらおうと、ワークショップ形式の授業でした。
- 北澤
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3週間、15回、というと何種類ぐらい?
- 山本
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いやぁ、それは、すごいですよ。一日の中で2つ以上入ってますから。
- 尹
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料理番組をみていると、あっという間にいくつかの料理が出来上がるように、板橋先生のワークショップは、鮮やかな手順でオリジナルの技法を見せてくれますね。それを3週間集中して見ることになる学生の驚きが想像できます。ただ、手並みが鮮やかすぎて、どこがすごいのかが、解りにくいこともあるとは思いますが。でも学び始めの頃にそれを見られるというのは、確かにある種のインパクトですよね。
- 山本
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インパクトはすごくあると思いますね。ただ板橋先生はできちゃうところが、ちょっと特別な人かな。学生も勉強し始めですからついていけるかなと思うこともあるんですけれども。
次に3年生ですが、ここで空間と形、各自のテーマに基づき手捻りなどを学びます。前期までは作品についてもう少し踏み込んで考えさせて、後期は特別制作という名目で、各自のテーマをきちっと設定して、工芸科全教員の前で発表させたうえで制作させます。最終的には工芸科全体で講評会を行います。違う工房で仕事をしている仲間の仕事を見たり、他の素材を専門としている教員の意見を聞いたりできるのでかなり濃い内容だと思います。
4年生になりますと、前期自由制作で1点以上制作、後期は卒業制作ということで、完全に各自テーマの中で進めていく。研究会、審査会などは、先ほど言ったとおり工芸科全体でおこないます。卒業制作展は金沢21世紀美術館で、学部生と大学院生の卒展を開催します。
それから、卒業生の進路ですが、調査不足であまりあてにならないというか、実はよくわからなかったんです。ただ様子を見ていると、たとえば東京芸大の卒業生は95%ぐらいが作家としてやっているということですが、今まではそういった雰囲気はなかったようですね。違うことにふっといく人もけっこう多いと聞いています。バイトしながらでも作家としてやっている人もいるんですけれども、だいたい半分ぐらいなのかな。もちろん陶芸作家として活躍している人、デザイナーとして企業の中で働く人もいるという感じかと思います。
1-3進路指導
- 冨田
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そうすると、先生は積極的な進路指導というか、進路には関与されない。
- 山本
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はい。僕も去年1回しか経験してないんですけど、これまでは積極的に関与していなかったみたいです。もちろん何処からか話が来れば、「こんな話が」ということはあるんですけど。
- 冨田
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追いかけてないということは、そういうことなんですね。
- 山本
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ただ、さきほど少子化の話をしましたが、大学がどういう人材を輩出しているのか、どういうところへ学生を送り出してるのかは、学生募集の段階でもかなり大事なことですよね。そこで、今までみたいに放ったらかしでいいのかは、当然考えなきゃいけない問題です。どういう学生を育て、どこへ送り出して行くのか、場合によってはルート作りもこれからはしていかないといけないかなあ、と。ただ、陶磁関係の業界はかなり不況にあるということで、就職させたいとしても、どこに就職させるか。メーカーはあるのか、企業はあるのかと言われた時に、専門分野的にはなかなか難しい。
- 冨田
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いや。自分が将来どういうふうになりたいのか、ビジョンってあるじゃないですか。デザイナーとか、あるいは作家としてやっていきたいとか。3、4年生になると本人たちもさし迫った問題として意識するだろうという見込みがあったので、学校の中で、先生との関係の中で大きなテーマとならないのかなあって。
- 山本
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これまでは久世先生の影響力がすごく強かったんですね。久世先生は造形的な世界を展開されていて、それに憧れて学生たちは一生懸命やる。たぶんそこでは就職って頭はないですね。板橋先生の場合は工芸という意識が強いですから、その影響で学生たちは轆轤も一生懸命挽きますし、食器も一生懸命つくる。そうすると当然工房などに就職したいっていう、憧れを持つ人たちが比較的多くなってきていると思うんです。でも、また不況の話になっちゃうんですけど、人を入れられるような状況にあるかっていわれると、恐らくなかなか難しいだろうと。これからどうなんだろう。理想と現実のギャップが、特に開いてきているような気がするんですよね。
- 井上
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出口に関しては世の中がすごく求めてきている。こちらが先に「学校もサービス業です」、なんて言ってた頃はまだよかったんですけど、それがもう社会の常識になってくると、教育が単なるサービス業になっちゃうんじゃないかっていう危険性を感じるんですよね。サービスのためのカリキュラムとなるのもどうかと感じます。
1-4先生のキャラクター
- 北村
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将来を踏まえてカリキュラムの見直しをしているということなんですけど、方向性というのはありますか。
- 山本
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基本的に板橋先生の方針を全面に出しながらということになると思うんですけど。技術的なことをとにかく徹底的に教えて、基礎的な技術を押さえたところから出てくる発想を、さらに個別に伸ばしていくことがメインかと思います。
板橋先生がやがて定年退職された後にどういう形になっていくのか、10年、あるいは20年っていうスパンの中で、どういうカリキュラムが設定できるのか、今から2、3年で詰めていこうと思っています。学校教育が一人の教員のキャラクターで染まるっていうのは、その後が難しくなるだろうという気がしているんです。僕が板橋先生の技術をすべて習得できるかと言われたら、絶対に無理。そこをどういうふうに折り合いをつけて、学校としてつくっていくのか。
- 北村
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技術重視というのは、将来を見据えてのことなんですか。たとえば、地場産業に送り込む人材を作るとか、そこまで見てやっているのか、それともキャラクターでやっているのでしょうか?
- 井上
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どこかバランス感覚は必要ですけど、それぞれの学校の特徴というか、やはりそれは教員の特色に負うところが大きいはずなので。すべての大学が工芸教育の中で同じようなカリキュラムがおこなわれていく方がもっと気持ち悪い。特徴が出るところは、教員のキャラクターに負うところがかなり大きいと思う。もちろん教育論的見地からするとおかしな話ですよね、ひとりの教員によって学生の指導のされ方が決まってくるというのは。
- 中島
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僕は1人だから怖いんですよ。「ちょっとそれは」と言ってくれる誰かがいたら、安心してやれるんだけど。だから山本さんがいるから、板橋さんは思いっきりやれるだろうなあと思って、誰かそういう人がいないとね。
- 小松
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でも私が思うには、影響力を持てるのがすごいですね。だって、それこそが教育じゃないんでしょうか。(笑)
- 冨田
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学生の支持はどうなんですか。
- 山本
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当然、2種類ありまして、うまくはまっている人たちは、自分の作品も良くなっていきますから、もう神格化していく。でも、うまくはまらない、あるいは違和感を感じる人って必ずいますよね。そういう人は何となく無意識かもしれないけれど離れていくっていうことが起こってしまって、これはもう常にあると思うんですけど、。どちらかというと今の僕の仕事はうまく合わない人たちに対してフォローしていくことになるのかなと思っています。これからどうなっていくのか、もうちょっと見たいんですよね。井上先生が前に、集中的に教えていくと、短期的にはすごく良い結果がでても、長期的に人を育てていくって部分では、無理がでてくることもあるよって、文章で書かれてたんですけど。そこのところが、これから学校を出た後で、たとえば作家としてやっていけるような人が育つのか。
1-5科目と教員
- 北澤
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「窯業器材学」っていう科目名ですね、この科目はもとからあったんですか。
- 山本
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いえ。板橋先生が多摩美からもってこられたっていうのが正解なんです。(笑)
- 北澤
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科目というのは、むろん文科省的な規定がある。科目自体に定義があるわけですよね。シラバスは時代的なことや教員の個性によって色付けされるけども、担当教員が変わったときにも変わらない大前提となる限定、枠の定義があるわけですよ。その辺どうなんですか。3週間でいろんなものを学んでいくというようなことは、独立行政法人化を睨んだときに、いわば経営上必要な授業かなという気もしないでもないんですよね。単なる個性の問題だけではない気がする。
- 山本
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授業タイトルは、実はシラバスに出てくる科目名ではないんです。「工芸演習」という括りがあって、その中にある課題名。だから、文科省的にはしばりがないんです。
- 北澤
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なるほど、それであれば納得できます。たとえば複数の教員が担当することも可能なわけですね。
- 山本
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僕が教授でひとりになった場合は、そうするでしょうね。いろんな人に来てもらって、それぞれやってよって。
- 北澤
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わかりました。
- 尹
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世の中が今こんなに激しく変わりつつある中で、これまでなんとなくあった「陶芸」という枠組みそのものが、相当揺らいでいることをみんな感じているし、知っているという状況がありますね。だからむしろ、うちの大学はこうなんだ、いやうちではこうなんだ、というふうにそれぞれが異なる考えに従って、違ったことをしていることの方が健全かな、と思います。そんな多様性のひとつとして先生のキャラが濃いのもありかなあと思う。どんな枠組みがあったとしても、そこにいる学生全員がその枠組みに収まることはなくて、それを受け入れられない学生が出てきてしまうので。
- 北村
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でもだいたい前任の先生が次の先生を選ぶじゃないですか。だから枠組みって、私は保持されているなあと思って。各大学に今もそういう色が強く出てる。
- 尹
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それぞれの学校ごとの色が、先生のキャラというような解り難いものではなくて、もっとはっきりした形としてある方が良いと思っています。この研究会自体も、多摩美の特色を考え始めたところからスタートし、今後の多摩美の在り方をさらに構築していくための基礎研究として重ねて来ました。
- 井上
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今まで陶芸教育というと、「伝統」と「クラフト」と「造形」、それぞれの担任の先生がいて。これもひとつの枠組みだけど。
- 尹
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他にも、東京芸大みたいに陶房でみんなで同じ釜の飯を食って学ぶ的なのもあってもいいと思う。
- 井上
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今まで大学ごとの違いはあまりなくて、皆一緒だというふうに誤解をされていたのでしょう。多摩美工芸学科でも新設された当時は、どの大学も同じだと思い込んで学生が入学してくることもありました。
- 北村
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でも、かなりできてるから、それを崩さなきゃいけないのではないですか。
- 右澤
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僕は逆に、これからは別の危険性を感じていて、今までは井上さんがおっしゃったように、一応同じだろうというふうに思っていたけど実はまったく違っていた。ところが、これからは違うと言いつつ均質化していくだろうと。教員のトランスもできるようになったし、学生もトランスできる。それが以前だったら、学生のトランスを文科省が認めてなかったからできないし、大学院自体の数も少なかった。大学院ができても母校にそのままストレートに上がるというケースが大半だった。そういった面が今日では決定的に変化してきていると思います。
1-6やきものを通して社会を見る
- 北澤
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中島先生がさっき、大学というのは研修所と異なっていて然るべきじゃないかとおっしゃいましたが、もう少し具体的に踏み込んで、大学の使命について、お考えをお聞かせいただけませんか。
- 中島
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大学で轆轤などの技術を学び、それからやきものを勉強して、作家になってゆくのはどうかと。やきものを通して社会をみるというか、やきものを通して社会とつながる。もっと言い方を変えれば、やきものを通して自分の存在を知る。それが大学ですることであって、大学で職業訓練所みたいなことをやるのはナンセンス極まりないと思うんです。だから就職に窯屋を紹介したりはしません。生徒がやきもののプロになりたいと言ったら、意匠研究所を紹介するなり、どこかの大学院を紹介するなり、作家の先生を紹介して、もっと勉強してからということなんです。もうひとつ言うと、良いところも悪いところも全部みせちゃう。そこから先は学生が選ぶこと。
- 北澤
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多摩美の場合は、「美術による教育」と、「美術の教育」という分け方がありますね。武蔵美はどちらかというと、「美術による教育」を学是として目指していると、僕は解釈していますけど。
- 小松
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どうなんでしょうねえ。つくるとは何か、非常にわかりやすい言葉で、世の中のために役に立つのかどうかみたいなところを、いちばん最初に学生には言ったりしてますけども。
- 井上
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僕はなるべく役に立たないものをやらせようとしている。役に立たないからこそ大事なんだからって(笑)。
- 小松
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でも、結局はやはり役に立つという最終目標はあるわけですよね。その辺のことってわかりにくいですけど。
- 北村
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社会とのつながり方をどう考えるかみたいなところがありますか?
- 井上
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さっきの出口の話で、社会とのつながり方で一番わかりやすいのは就職なんですね、誰でもわかるから。受験生自身がそういうことを要求する。学校説明の時から、何になれますかって聞いてくる。
- 山本
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実際に親を説得するにはそこが一番なんですよね。
- 北澤
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大学で同僚たちと卒業後の進路について話しあっているとき、僕は芸術が分かるOLとホームメーカーって言ったら、即座に却下されました。
- 井上
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いやぁ、僕も冗談で、多摩美のやきものを出て何になれるかと聞かれると、日本一優秀な主婦業とかいうんだけど。
- 北澤
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芸術のわかるOL、主婦でどこが悪い。(笑)
- 井上
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ほんとですよ。だけど、それは社会的には評価されない。社会とのつながり方というと、わりと画一的な見方をされているので、一見役に立たないけど、すごく大事なことってあるのに、そこからどんどん切り捨てられていく。切り捨てられていくことでダメになる。
- 北村
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残していかないと。
- 井上
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でもそればかりだと、何をやっているのかということに。
- 北村
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だから、残し方の……。
- 山本
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将来的方針、および方向性として、新しい社会とのつながり方は何かということは、これはもう当然考えていきたいなと思っています。