3武蔵野美術大学

会場風景

3-1武蔵野美術大学

小松

武蔵美はスカンジナビアデザインの影響を非常に強く受けています。その特徴である素材を生かしたデザインと制作の系統を受け継いでいます。指導していた先生方も北欧に研修に行かれたりした人が多いです。

1957年にまず短大が先にできまして、当初から陶磁コースが設けられました。この時はまだ専攻というわけではなくて、粘土という素材を知ろうということでした。スカンジナビアデザインというのはドイツのバウハウスの流れをくむといった部分もありまして、バウハウスの基礎課程で素材実験をいろいろやりながら新しい可能性を探っていく、そういった訓練にもつながっていたのではないかと思います。ほかには金工、木工、テキスタイルの工房があり、短大ですから1年目に基礎課程、2年目に各専攻を選ぶという形式でした。一方、4年制の学校は1962年に大学として認可されています。

武蔵美の工芸工業デザイン学科の特徴といいますと、名前が示す通り、ひとつは「インダストリアルデザイン」、もうひとつは「リビングデザイン」という分け方をして、そしてリビングデザインという中に、インテリアデザインとクラフトデザインがある。さらにクラフトの中がガラス、金工、木工、陶磁、テキスタイルと、5つのコースに分かれています。武蔵美の場合は短大も4年制の方も、ずっと指導者は同じで、工房もまったく一緒でしたので、それも特徴だったと思います。一人専任だった加藤達美先生は、東京芸大教授だった加藤土師萌先生のご長男で、達美先生が定年退職される時、私が引き継ぐことになりました。引き継いだ1998年に短期大学部が募集を停止し廃止に向かいます。短大では入学時に各専攻を決めて、入学希望を出していましたが、4年制大学では、まず工芸工業デザイン科の学生として入学して、1年生の間に基礎課程の絵画とか彫塑、それからテキスタイルとか金工、木工、工業デザイン、インテリアデザインなどを体験して、2年生の後半から専門に分かれていくスタイルになりました。学生数は今のところ、学部の2年生が13人、3年生11人、4年生が8人。自由選択ですからばらつきがあり、3年で編入してきたりもしますので、波がありますね。多い時は1学年20人近くになることもあります。

クラフトコースの何人かのうちの11人だったり、13人だったりするのですか?

小松

自由選択なので一定しないのですが、工芸工業デザイン学科としての入学がだいたい130人。そして約半分、65人から70人ぐらいがクラフトを選びます。その中で5つの専攻コースに分かれます。今、大学院生は6人いまして、武蔵美から入った人はこの内、1年生に1人、2年生に1人、あとは外部からの人で最近特に韓国からの受験者が多いです。合計39名。専任は私1人で、非常勤の人が週1回出講で3人います。窯の設備は、小さな窯しかないんですが、この利点がありまして、必ず焼く前に学生が集って自分の作品をどこに入れるのか、窯詰めの配置をちゃんと平面図を作って検討します。毎回やってますので、ちょっとクラス会的な部分もあるようです。

武蔵野美術大学 学生作品 武蔵野美術大学 学生作品 武蔵野美術大学 学生作品 武蔵野美術大学 学生作品

3-2課題とワークショップ

小松

1年生の課題には、学科の中の学生が選択して取り組むものがあります。4週間の課題ですが、前半の2週間はとにかく粘土と戯れてもらう。ただ何をつくっても良いのではなく、使う粘土の量は1キログラムで、まずマチエール、テクスチャーを感じさせるような造形物を1点。もうひとつはフォルムを感じさせるものを1点。さらにぐい呑みを2点提出することになっていますが、そのためにとにかくユニークで面白いものを見つけるためにマケットをたくさん作らせます。「使えるもの」と「使えないもの」を同時に表現することになります。そして後半の2週間は、轆轤を使って鉢をたくさんつくってもらいます。

1年生でいろいろな素材実習を経て、2年生の後半、夏休み後に各専攻に分かれます。分かれてまず初めの課題は、飯茶碗をとにかくたくさん作る。つくったものを友達や両親にあげて、つくる喜び、人に喜んでもらう喜びを知ってもらうことと、轆轤の技術を高めてもらいます。2つ目の課題は板づくり、基本的な成形技法ですけども、粘土の板を用いてハコを作る。これは機能を持たせたものではなくて、観念的な発想、ハコを感じさせるものであればよいということにしてます。武蔵美のカリキュラムの特徴を出そうということで、最初に飯碗という機能を持ったものを作ってもらったあとは、機能性のないハコというものを作ってもらう。機能性のあるものとないものを交互にやってもらうことで、いろいろ感じてもらおうということなのです。3つ目の課題は石膏型を使ったピッチャーを作る。これは制約をかなり設けています。容量が200ccでミルクやドレッシングのソースを入れる注器で、必ず取っ手を後付けすることにしてあります。そして、課題発表の時には毎回A2のボードに、自分の作品をより良く説明できるプレゼンテーションを制作するということが全ての課題の共通項になっています。

3年生になりますと、機能を持たない造形物としての、印を施した筒の制作。ここから6週間の課題になります。装飾的な仕事をする人を特別講師によんでワークショップを行なっています。次に、轆轤による茶器のデザイン制作。この時は、武蔵美卒に茶器を作る名手がたくさんいるので何人かよんで、ワークショップをしてもらいます。その次の課題はパーティーの器を、ある意味特殊な場を想定して特殊な器を作ってもらう。次は、轆轤の可能性をもっと知ってもらおうということで、轆轤で挽いた物をいくつか組み合わせて構築物を作ってもらいます。

4年生になるとかなり自由度が上がってきて、最初の課題が花器のデザイン制作。この時もフラワーデザインの専門家をよんでワークショップをしています。花と陶磁器による自由で独創的な表現を追求していきます。そのあとは、自主的に課題を作って卒業制作に向かっていきます。

3-3卒業生の進路

小松

卒業生の進路ですが、卒業後もやきものを続けていく人は2割ぐらいですね。就職先はグラフィック関係の会社でサンアド、グリッツ、資生堂のパッケージ、石塚硝子、ハリオ硝子、鳴海製陶など。最近では日本陶器とかニッコーとか、大きなメーカーのデザイン室からの求人はありません。

井上

企業デザイナーがいらなくなってきた。

小松

そうですね。中国にシェアを奪われているからで、企業自身も製造部門を縮小しています。学生さんは自分で就職課に行って関係のものを探してきたり。もちろん研究室を通して話があれば、人を選んで紹介したりしてますけれども、最近は就職依頼が少なくなりました。

陶磁器メーカーからも?

小松

そうですね。それでも今年は2名ほど、瀬戸のおもしろい陶磁器メーカーに入りました。教育機関では、多治見の意匠研究所とか、瀬戸市の新世紀工芸館、ヘルシンキ美術大学、FAENZAの陶芸学校、TALAVELAの陶芸学校などに行く人がいました。

3-4履修システム

小松

話が後先になりましたが、カリキュラムで全学的に自分が所属する学科以外の課題を3週間単位で2つ選ぶということを4、5年前から実施しています。これは賛否両論でだいぶもめたんですが、とにかくやってみようということになりました。1年生の時、自学科以外のもの選択してやるんですが、今でもやめた方がいいんじゃないかと、やっぱり賛否両論です。

今でも、そうなる?

小松

ええ、自学科のことをもっと体験させたい。工業デザイン、インテリアデザイン、それからテキスタイル、金工、木工、硝子、陶磁と7コースあるんですが、選択でこの内の3つしか取れません。

余所のをやってる場合じゃないということですか?

小松

そうです。それよりは自分のところの素材実習をするべきだろうと、今そういう方向で話し合ってるんですが、なかなか時間がとれません。

井上

「共通彫塑」とか「共通絵画」という面白いシステムがあるじゃないですか、教職のための。1、2年生はどうなんですか。

小松

ええ、1年と2年前半に「共通絵画」、「共通彫塑」があり、全員必修で12週間もあります。教職の履修は2年生からになります。

ちょっと話が変わりますが、今回の研究会のように、今後は美術大学間の交流がすごく密接になってくると思います。海外の大学ではエクスチェンジが簡単に行われているようで、それぞれの学生の担当の先生がOKすればそれで成立するそうです。講義科目ではすでに国内の他大学との単位互換が行われています。実技科目でもそうなると良いと思っています。課題によっては武蔵美の学生が多摩美に行くとか、あるいは芸大や金沢美大に行くとか、そうなると各大学それぞれが、特徴のある内容の講義を持つべきだと思っています。

武蔵美では学校としてそういう方向をすでに具体的に進めているのですか? あるいは、こんな感じだったらありえそうという、イメージか何かありますか。

小松

学校のシステムがそれぞれ違いますからね、なかなかむずかしいようです。まだ思い付きの段階ですが、たとえば私の専門が鋳込みですから、「泥漿による表現」というような講座が持てれば面白いかなと思ってます。

3-5機能にこだわる

井上

もっとデザイン的な鍛錬とか訓練をやっていらっしゃるのかと、勝手に思い込んでたいたのですけど。

小松

石膏原型轆轤の技術や、陶磁器のための製図など、特別な指導はしておりません。

井上さんがおっしゃった「デザイン的」というのは?

井上

職能訓練ということで。たとえば即戦力となる企業デザイナーを養成するために、鋳込みの型の図面が引けるとか。

小松

「デザイン製図」は他の演習という教科でやってますので、即、そういった役立つ授業はしていません。一番大事なのは作りたいものを見つけ出すことで、今までにない独創的な物をつくるという工房の空気をつくるのにはこだわっています。そして、日常的に使えるものにそれを表現して下さいと言ってます。

井上

「機能」ということが最初から盛り込まれている?

小松

そこにこだわることは武蔵美の特徴ですから、やっぱりずっとこだわり続けていきたいと思ってます。中にはオブジェをやる人もいますけど、やめろとは言いません。本気でやるのなら多摩美へ行ったらどう、とか言いますけど。(笑)

井上

うまくいったかどうかわかんないですけど、多摩美がどうも違うって、3年生編入でそちらへ行った学生がいました。

小松

ええ、そういう人もいましたね、無事卒業しました。

井上

20数人の入学者で、多摩美がどんなことをやってるのかを、知らずに入ってくる人はいますよ。

小松

最近、美大に入ることが目的で入って来る人が半分ぐらいいるのではないでしょうか、専攻を選ぶのに迷っている人が多く、スライドで面白い物を見せるとすぐ影響されて、専攻希望人数が上がったりします。

どこの学校の場合も、入学前にその内容をある程度想像してはみても、実際のところはそこに入ってみないとわからない。まだ専門教育を受けてないんだから。

小松

受験生にとっては解りにくいかもしれない。武蔵美は器を作る人は多いですが、私が得意とする量産を前提としたデザインをやりなさいとは言いません。

井上

でも、やってみたかったこととの距離を感じてる学生って、少ないんじゃないですか。戸惑いがないような気がしますよね。

冨田

多摩美と違いますよね。

うちの学生もそんなに戸惑ってないですよ。「器をやらせない」というのがまるで多摩美のキャッチフレーズのように学外で言われてきたようなのですが、それは間違いです。 武蔵美の「使えるもの」と「使えないもの」、そういう課題が交互にあるのは面白いと思いました。学生さんの作品に、「使えないもの」を作った時の成果が、「使えるもの」につながっているような気がする。

小松

そういう流れがどんどんできるといいんですけどね。私はどっちかというと機能重視よりもユニークなものが好きですが、学生がつくるものは意外と真面目なものが多いんです。

「使えないもの」もその分、破綻してないというか、やっぱりどこかで予定調和的にうまく使えるような表情にあてはめている感じがしますね。

小松

ほんとはもっとびっくりするものを作ってもらいたいんですけどね。指導のせいか、なかなかそういうものが出てこない。突き抜けたような、反抗的であってもいい。

3-6バランスの取り方

冨田

課題から講評までの間、先生は実際の作品についてどれぐらい指導を?

小松

作り出したら、私はもうほとんど何も言いません。アイデアチェックが最初の週にありまして、そこでアドバイスしますが、あとはもうほとんど言いません。ただ非常勤講師の先生方や助手たちが、かなりフォローしてくれてます。もちろん学生が来れば相談にのりますけど、来ない限りはあまりこちらからは行きません。

冨田

じゃあ、生徒のタイプなのかな、作品にあまり破綻がないですよね。破綻がないから、先生がある程度、こぼれたものを拾ってあげてるのかと思ったんですけど。

小松

それは、今回、私の気に入った物を選んで見せているせいかも知れません。

器っていうと、どこか破ってはいけないルールというか、一線があるので、そのフィーリングが自由にしていいっていう時にも、何か機能しているのかもしれない。そういうバランスの取り方ってあるような気がするんですけど。

小松

本当はその辺を突き抜けたいんですけど。なおかつ器であるというものを期待しているのですが。

北澤

構築物を制作する時に、轆轤を使用することを前提条件としていらっしゃいますが、ある意味で構築性と轆轤の成形って対立するところがありますよね。その効果ってどうなんですか。

小松

轆轤は器を作るのに一番適したものですけど、そればかりやってると面白いものができにくくなるので、その辺をぶち壊したい。どんなことでもできるんじゃないかと。

北澤

モデュールが器的なもので、ある意味、その組み合わせで構築する。構築されたものが、もういちど器に戻ってくる、そういう還流するシステムですね。具体的な事例が見てみたいですね。

小松

残念ながら今日は写真を用意しておりませんが、通常轆轤で作る器は1回の作業で完成しますが、別々に作った物を、いくつも組み合わせて作る造形の訓練が、新しい器の形の可能性を広げていくと確信しています。

3-7造形物への批判

井上

卒業制作は基本的には自由なんですか。

小松

それは、自由ですが、制約のない自由造形をするならば、よっぽど面白い表現が出来ないと意味がないね、と釘をさすことはあります。

井上

どのくらいの割合の学生が機能されるものを作る?

小松

年度によって多少のばらつきがありますが、機能性を持ったものは8割ぐらいです。先代の先生は造形物はかなり厳しく批判してましたね。そんなものを作るんじゃないって。

井上

それはすごい。ダメだって。

小松

その事で学生の創作意欲を試していたきらいがあります。

冨田

「使えるもの」、「使えないもの」という課題を行ったり来たりしている中で、生徒さんの迷いとか、見て取れることってありますか?

小松

あまり困っているようには感じません。

井上

良いバランスを感じますが。

小松

そこら辺は問題ですね、もっと困ってもらいたいのですが、当然の事のように思っているように見えます。

学生は周りにあるものや情報的なものを、感覚的に身体の中に入れ、そして出せるので、器とそうでないものも、先輩の仕事を見ていたりしながら、そんなに悪戦苦闘しないでできるのでしょうね。そんな感じを受けますけどね。

冨田

こなれたものが出てくるということですよね。

その辺を揺さぶりたくて、多摩美では様々な課題を考えているんです。たとえば、1時間半目隠ししたまま粘土で作ってみるとか。この授業を始めた頃の学生は新鮮に取り組みますが、何年か経つうちにだんだんと型のようなものを見つけ始める。

井上

だから同じ課題でも3年から5年周期ぐらいで、学生の取り組み方をシフトさせるように持っていきます。そうでないと、先輩が作っているのを1回ピッとみちゃうと刷り込まれちゃう。

北澤

目隠しって、具体的にどういうことをするんですか?

視覚を使わなくても、普段からの思考や、作る時に喚起される感覚を表現のきっかけにできることを感じるために、目隠しをして1時間半で好きなものを作る体験授業です。ブルーシートを敷き詰めて、その上で、まず使う分の粘土を2袋でも3袋でも横に置いて始めます。それ以外の条件は自分で選んでもらえるようにします。机で作りたい人は机を予め自分で持ってきなさい、回転台が必要な人は用意しておくようにして。作るものを最初にイメージしてもいいし、しなくてもいい、1時間半とりあえず作り続けろと。

北澤

それは作品になるわけじゃなくて。

焼いて作品化するのが目的ではないので、基本的には焼かない。でも焼きたい人は焼いてもいい。

右澤

絵画教育におけるブラインド・ドローイングと同じような感じですね。

山本

そっか、4年、5年周期ね。

冨田

いま、小松先生から見せていただいたのは、たぶん良い作品だけお選びになってると思うんですけど。逆に良い作品だけだと、2年生から4年生までの中でどういうふうに学生が伸びたかが分かりにくかったんですけど、そのあたりってどうだったんですか。3年間でどう伸びたのか、あるいは何を伸びたと評価するのか、どう伸ばしたいと思っているか。

北澤

最初から完成度が高くて、あとはその展開にしか見えないよね。

小松

そうですね、もっと絞り込んで一人の学生の変化が見せられると良かったですね。

3-8作りたいもの、使えるもの

冨田

外部の方を呼びながらワークショップをバリエーション多くやっていらっしゃいますけど、その辺の狙いは? 技術的なことだけじゃないわけですよね。

小松

自分の世界をつくりつつある人をよびたいと思っています。技術はあとから付いてくるものだと私は思っています。とにかく自分で作りたいものを探し出す、見つけ出すということが一番なので、「ほんとに作りたかったのはこれ?」「わくわくしながら作ってますか?」ということを常に問いかけています。

北澤

テクスチャーをつくれということであれば、物質とのギヴ・アンド・テークのなかでつくりたいものが見えてくるという、ひとつのプロセスがあると思うんですけど、まずつくりたいものを探せということだとすると、イメージが先行することになるのかな、と聞いてて思ったんですけど。

小松

いろんな場合があるんじゃないかと思うんです。素材から触発されて気持ちが熟成されてくる場合と、それが技法の場合もある。イメージが先行する場合もある。

北澤

プロセスにものとのやりとりがあったり、ドローイングがあったり、イメージがあったりということですね。そこはもうおまかせ。

小松

そうです。

中島

作りたいものと使えるものっていうのは矛盾がないですか。使えるというは、相手のことを考える気がするんで。だから僕は、作りたいものを作るんなら造形にしろ、使えるものを作りたいといった時は相手のことを思ってデザインをしろ。自由にしたらダメよ、一緒にしちゃダメよ、と。

小松

分かります。でもたとえば、造形でやる面白いものづくりを、デザインをする時には、ある意味非常に妥協的にやりますよね。私はその辺がとっても我慢ならないんです。やっぱり使えるものであっても、命がけのものってできるはずなんじゃないかと思うんです。条件の違いだけでね。で、相手のためにつくれって言いますよね、相手のためのものって、できます?

中島

いや、それは、もちろん分かりません。

小松

相手が好んでるものを作るって難しいですよね。結局は、自分の気に入ったものしかできないんじゃないかと思ってます。

北澤

「相手のため」っていうのが善意とは限らないでしょう。

中島

それは当然のことです。

北澤

そういうことですよね。「悪意の工芸」。工芸でやっぱり一番欠落しているのは悪意だと思うんだよね。

多摩美の図書館の床が斜めになっているのも、それと似てますね。長く座っていられない椅子を置いて、すごい疲れるけどある意味面白い。

北澤

荒川修作も《養老天命反天地》で、同じような仕掛けをやってますけどね。

3-9人に優しいもの

井上

くせがないものを学生が作りたがるのは、どこかで勘違いしているんじゃないかと思うんですよ。人に優しいことを好む人、たくさんいるんですよね。ほどほどの感じを作ろうっていう。まあ、それは悪くはないんです。でも、享受する方はそれでいいけど、仕掛けていく方はそれでは困るでしょう。ざらつきがあるんだけど、受け手のてがすっと出るものってあるはずなんですよね。毒気がないなどと言ったりもするけど。

北澤

悪意のための悪意というのもあるけど、そういうことではなくて、大げさな言い方をすれば、命がけの器物をつくることもあり得るんじゃないか。いいかえれば、「危険な器物」いうことだけど、その部分が強く前面に出ていればギョっとするけど、じゃあ使えないかというと、使いようによっては使えないわけではない。つまり、惹き付けることと拒絶すること、縛りを課すことと楽しませることが、どういう形でそこに込められていくか。物足りなさがどうこうって、結局そういうことでしょ。

井上

それは、そう簡単に教えられないし、教えないし。でも、自分に何かが足りないっていうことに気が付く子もいるんですよ。すごく器用な子はできちゃうんで、何か足りないってすごく感じていて、4年間悶々として終わる子もいる。そこは何を盛り込むかはやっぱり教えないで、「何か足りないよな」とずっと言い続けて、こっちももどかしい思いしているんだけど……。不器用で思い通りにできない学生は、手の関わりが濃い分、ものとの関わりの中で気付くことが多い。器用で頭でものを考えて作る人のほうがわりと辛い思いをすることがある。

それって、もの作りの「あや」みたいなもの、あるいは仕組み的なものだと思うのですけど、それをどう社会化するかはそれぞれ。使えるもので世の中の役に立つものにするとか、あるいは頼まれもしない彫刻的なものを世の中に送り出して示すとか。それを陶で実現させながらそこに機能性をどの程度のせるかは、学校それぞれの枠みたいなものがあって、その違いはもっと分かり易い言葉にして、明解にしていくべきなんじゃないかという気はする。この研究会で今まで2回、いろんな学校の話を聞いて来ましたが、僕らはよく学校ごとの違いがよく解る立場だから、それなりに違いが見えてくるけども、世間の側からみると、あまり認識されてないと感じていました。陶芸とか工芸という言葉でひとつに括られて、「ちょっとした程度の違い」くらいに。

3-10社会とのつながり

北澤

対象にする社会の規模の問題もあるんですよ。社会っていうのは、もともと小さいもの、お互いの顔を知ってる、名前を知ってるぐらいの規模のもののはずです。ところが、我々は社会っていうと、つい国家や地球の規模で考えてしまう。想像によってしか捉えられないレベルで考えてしまう。いったい僕らはどっちを目指して行くのか。これは個々の判断にかかわる事柄なのですが、国家大、あるいはグローバリゼーションも大切かもしれないけれど、もう少し小さい、仲間的なソサエティ、こういうところに、もう少し関与していってもいいじゃないか、そうすると自分のことを考えることが他者のことを考えることでもあるような、現代では衰退してしまった相互扶助的な関係ができてゆくのではないかと思うんです。さきほど「悪意」ということを言いましたが、それは、こういう構えを形成するための、いわば方法的な悪意とでもいうべきものなのです。

井上

工芸が置かれている状況って、志願者数だけ見ても、認知のされ方から見ても難しい状況にある。学生と話していると、自分がやってることが社会でどんな意義があるのか、続けていく意義があるのか疑問に思ってるんです。たとえば器物だと、人との関わりが持ち易いので、社会的枠組みが自分でも掴み易いと感じている。まったく役に立たないものを作り続けること、これは一体何だと。で、経済もついてこない。そういうところでの存在意義みたいなものをこちらもきちっと提示できていないので、がむしゃらに続けて行こうという人が少なくなるんじゃないかと。それがちょっと怖いんですよね。自分で続けて行くエネルギーを外部から受け取れなくなって萎んでいっちゃうっていう。

山本

社会との関わりを強く意識する人が多いような気がするんですね。そうすると、とりあえず食器のような使えるものを作っていれば、社会との関わりは見えやすい。自分の中から湧き出るものより、他の人の目を気にする傾向が多いような気はします。ただ、絶対自分の中にそれが眠っていることは確かで、それをとにかく開けてあげる中島さんのパワーがすごい。