Mamoru YONEKURA
「世界の背後にひそんでいるイメージ」
ジェット機旅客機と版画とは、いずれも世界を旅して廻るもの、という点で共通している―、高階秀爾氏の言葉だが、今回の審査は世界中のイメージのなかを旅しているような楽しいものだった。版画という“小芸術”(ミニプリント)のおかげである。
“小芸術”などといったが、この“小芸術”がもしなかったら、「大芸術」のほうはずっと貧しいものになっていたにちがいない。
現在もことばとイメージは情報伝達二大手段だが、ことばの現象に対して、具体的な姿を伝えるのはイメージの領域である。しかも映像、写真などと離れて、「造形表現」としての性格をもつ版画は各国の作家の血のなかにひそんでいる民族的なものと個人の想像力の特質を示すもっとも“前衛的”なものである。「ミニプリント」の世界はつねに国際展の最先端に立つ、という逆説が成り立つと思った。
是非継続させたい好企画なのである。
今回のレベルの高さはいうまでもないが、全世界の“小芸術”が「絵画」に接近していることに気づいた。「絵画」と「版画」の出会いは、西欧と日本との出会いと同じ歴史を持つが、このふたつの溶けあいはもはや世界的になったのかもしれない。
銅版、木版、混合にしろ私には技術的には見抜けない造形表現としての高度な作品が多くあった。
大賞となったスロヴァキアの作品は、東欧民主化の激動をくぐり抜けてきた地域の不思議な感情を伝えてくれる。「線」(西欧の特質)の強調も「色面」(東洋の特質)の拒否もなく、おだやかに双方が溶けあった「黙示録」のような世界である。アンデルセンを除けてもなお広くイメージを浸透させるものをもっている。
木版画(木口のような)でもまるで銅版画を思わせるような精妙な線のみですべてを表現してきたという西洋版画のイメージをもってきた私には準大賞の日本の作品も新鮮だった。日本版画(浮世絵等)の色面の「色」を抹殺して、束の間の揺らぎをイメージ化した。が、この作品のしじまと色彩感は豊かだ。
何を描いても「人間」という存在から離れることのできないイメージの造形表現として、Viola TYCZとJean DUNCANを、審査員賞に選んだ。
私ごときの手におえない底なしともいえる重さと深さをもつポーランドの作品は、絵画としての未完をもって、芸術としての完成をねらっていると感じた。他方は色彩の対比や線の動きによるリズムではなく、空気や水というような異質のレベルとの飛躍的な融合で導きだした美しいイメージであった。楽しい作品なのである。
今企画は数量からいっても、内容の多様さからいっても、世界の美術を垂直に旅するに似た大きさがある。
現代美術の表面を一皮剥げばたちまちでてくる世界、それがミニプリント:2005であったと思っている。